天体観測

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9.初めての

母屋の一階にある客間をカヲルは寝室にしていた。

「ここからも結構よく夜空が見えるんだよ。側に高い木や建物が無いから。」

部屋に入っていつもの軽やかな調子で話しながら、でもちゃっかりとカヲルは布団を広げだすのだった。その様子がまるでこれからキャンプの支度でもするような朗らかさで緊張感の欠片も無く、シンジは奇妙な気分になる。場慣れしているんだろうなとも思った。
しかしひどく緊張していたから、その何気なさが逆にありがたいような気がしたのも事実だ。

灯りを落とす前、カヲルがちょっと待って一応あれも出しておこうと言って側の旅行鞄を探して何かを取り出したからよく見ればコンドームだった。
え、男同士で使うの?と思わず面食らって訊いたら、習慣にしておいた方がいいよ自分の身は自分で守らないと、とカヲル。飄々とした調子だったけど声に有無を言わせず鋭い響きがありシンジは少し気圧された。性感染症、STDなど他人事のように眺めてた保健体育の教科書がぼんやり浮かぶ。
ついでに、あれは彼女と使ったのの残りか、それとも常備してるのかと余計なことも考えた。自分の知らないカヲルの何かが垣間見えたような気もして、経験豊富そうだなと改めて複雑な気分にもなる。でも、目が合って自分に微笑んだカヲルの何の翳りも後ろめたさもなさそうな表情にどぎまぎして、それも忘れた。


準備が済んで、ふと沈黙が訪れる。

布団に入るどころでなく体育座りのまま身を硬くしたシンジの斜め横にカヲルが座り込み、白い指でぎゅっと膝を抱きしめたままの手に触れた。
そのまま、覗き込むようにして訊く。

「緊張している?」
「…少し。」
「手が冷たいね。寒い?」
「え…いや、大丈夫だよ。さっきは少し暑かったくらいだし…」

カヲルの右手がふっと移動して柔らかくシンジの頬を撫でた。その感触が気持ちよくて、シンジはぎこちなく目線をさまよわせる。

「君の事、もう少し教えてくれるかい。どんなふうにされるのが好きなのかな。」
「…え?…っていうと?」
「具体的に言えばどっち寄りなのか…タチとかネコとか。またはリバなのか…。」
「あ、ああ…。」
日常の会話では殆ど使うことのない「それ系」の台詞がカヲルの口から出るのも、自分が使うのも奇妙な感じがした。

「まだよくはっきりしないんだけど…タチだったことはないよ。カヲルくんは?」
「どちらも僕には等価値だよ。つまりはリバってことさ。」
「…それいいな。楽しそうだ。」

ちょっと笑って答えた瞬間、カヲルの顔が近づいてキスされた。最初は閉じた唇に軽く触れる程度に、次に軽く開いた唇同士触れ合わさる感覚を楽しむように。そして最後、カヲルの右手がシンジの後頭部に回ったかと思うと、ぐっと引き寄せられ、歯列を割って舌が入ってきた。
よどみない慣れた仕草。カヲルに侵入されかき回され必死で応える。そのうちだんだん慣れて互いに貪り合う。頭の芯にくらくらするような陶酔感を覚えた。

唇が離れたとき、少し乱れた吐息のカヲルが囁いた。

「…質問し忘れた。キスされるのは好き?」
「…意地が悪いね。」

身体に力が入らず、しがみつくような姿勢でかろうじて答える。


小さい読書灯の光にぼんやりと照らされた視界の中、少し汗ばんで鈍い光沢を孕むカヲルの肌と濡れた唇がひどく扇情的に映っている。
全てが非現実的な夢のように思えて恐ろしくなり、シンジは自らを委ねるように目を閉じた。





肝心のところは後回しにして、焦らすようにゆっくりと触れていくカヲルのやり方に最初は戸惑った。
女の子を抱くようなやり方だなと経験もないくせに思った。

だけど優しく触れる指に唇に身体がほどけていったとき、予期しないような感覚が走り声が出て驚いた。

気持ちがいい?と訊かれ恥ずかしくて答えられないでいたら、いやなときははっきりノーと言っていいからね、とカヲルはちょっと神妙な声になる。
それを聞いてぼんやりシンジは思い出す。そういえば洋物AVみたとき、外人はYesってばかり言ってたな、いや、やめてとかいうと本気にしちゃうのかな。
だから無茶苦茶照れくさい気持ちをこらえながら試しにすごく好いよと小さい声で言ってみたら、相手は臆面も無く嬉しそうな顔をしてにこりと笑いシンジの頬にキスした。その仕草に微かな異文化を感じて胸がうずいた。遠い場所から来た人。

だんだんシンジも大胆になり次々と新しい刺激を受け入れる。男でもこんなところ感じるんだと荒い吐息でつぶやいたら、人間は皆同じだよと耳朶を甘噛みしながら言われ、それがまた気持ちよくて呻く。

だからカヲルがフェラチオしながら試すように指を軽く中に入れてきたときには、勢いでシンジの方から言ってみた。後ろの方もいけるよ。大丈夫。

カヲルがゆっくりと中に入ってきたとき感動するより前にまずほっとした。喘ぎながらも、前の体験を身体が忘れていなかったこと、ひどく痛がったりして手間をかけさせずにすんで良かったと即座に思考を巡らせたのだ。
それでも強い違和感と痛いのの真ん中みたいな感覚を耐えるのは少し苦しくて、眉根を寄せて声をかみ殺していたらその顔すごくいいとカヲルに言われ恥ずかしくなり、でもそれで感じてしまったら一気に身体が開いて楽になった。

一度ヤられて開発されていたわけだけれど、一人でするときにまで使ってたわけじゃなかったから久しぶりだった。
考えてみれば変な話、この方法ですぐに快楽を得られるかどうか確たる自信もないくせに彼と繋がりたいと望んだわけだ。

四つん這いのような格好で口を押さえて悶えながらもそのことにふと気づいたとき、滑稽な話だと思い同時に少し切なくなった。
だけど嬉しいや、とシンジは思った。カヲルに侵入され、体温が混じっていくのに歓びを感じる事が出来ている。この瞬間を、強い感覚を共有することを幸せと感じてしまっている。

身体の中心、深い部分を直に刺激され、突き動かされ、強烈な快感に翻弄されて思考が遠のく。限界が近い。カヲルもしんどくなったのかのしかかるように体重をかけてきて、首筋に噛み付くようなキスをされた。その刺激と重みがまた気持ちよくて悲鳴を上げる。

最後には悲鳴のような喘ぎ声しか出せなくなり、果てた。





差し出されたペットボトルの水を受け取り、シンジは飲む。

「…本当に、ありがとう。今日…」

まだぼんやりと余韻の残る身体で、とりあえず笑顔を作ってそう言った。何かを話さないと、張り詰めている気持ちが千切れてしまいそうだったからだ。

「別に、お礼なんて言うもんじゃないよ。」

少し離れた場所、布団に入ったまま本棚に寄りかかるように座ったカヲルが薄く微笑んで横を向く。棚の空いた段に置かれた読書灯の光を受けて、少し伸びた前髪が頬に影を落としている。

「でも…無理に頼んだようなものだから。受け入れてくれて本当に嬉しかったんだ。」

「いや、そんなふうに…思う必要は無いよ。」

「でも、本当なんだ。言わせてよ。」

そして、好きな人とこういう風になったのは人生で初めてだったから嬉しかった、と言った。

するとカヲルがふと、失礼な質問かも知れないけど、と断ってぽつりと訊く。

「…前の体験はあまり喜ばしいものではなかった?」

うん、最初の人は、まあねとシンジは曖昧に答え、ついでに質問し返してみた。

「カヲル君の初体験は…その元彼?」

うん、と簡潔にカヲルの声。
今更ながらちょっと胸が痛んだのと、もう居ない人を話題にしてることを意識してシンジは言う。

「変な事きいてごめん。でも…好きだった人と初体験っていうのはいいな。正直、憧れる。」

はは、と笑って頭をかいた。軽く流したつもりだった。だがその台詞の後、少し奇妙な間があいた。

「好きだった人…か。」

シンジが気づくと、カヲルはどこでもない場所を見るような眼差しを虚空に向けていた。



続く
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