天体観測
6.決心
虚脱感。
ティッシュを右手に握りしめたまま、横向きに倒れ込んで片側の頬を布団に埋めて、動き出す気も起こらず沈み込んでいる。
(ずっと…彼を見てきた。)
(最後にこんなに話せるなんて、思っていなかった。)
(……あんな告白…しなきゃよかった。)
馬鹿みたいだ、恥ずかしいことをした、と後悔が改めて襲う。
同時に、あまりにも唐突すぎる自分の言葉をどこまでも穏やかに受け止めていたカヲルの眼差しが脳裏に浮かぶ。
ああいうふうに優しい人なのだと知る事が出来てしまったのも、今となっては切ないばかりだ。
(どうしよう…辛い。)
(思い出が鮮やかすぎて、おかしくなりそう。)
心が痛んで身体がひたすら怠かった。
どうかすると自分が生きて呼吸している事実さえ、億劫に感じられるくらい。
(あれが…最後だなんて。)
だがそのとき、シンジの頭の中に何かが点滅する。
(最後…?いや、待てよ。)
確かにカヲルは明日東京からはいなくなる。
だが、しばらくの間日本にはいるのだ。
東京から数時間の場所に。
しかも彼は、メールアドレスまでくれた。
胸の鼓動が早くなる。
(何を…考えているんだ、僕は。そんなの…)
自分に言い聞かせようとする。
これ以上、何をやったって無駄なんだ。
傷が広がるだけだ。
だいたいもう振られているんだから。
そもそも相手にだって、迷惑以外の何ものでもない―――と。
(でも……)
ふと、このまま諦めれば続いていくであろう退屈な真夏の日々を思った。
朝起きて、テレビをつけて、甲子園なんかをみて、庭の草木に水をやって、また一人時を過ごすことになるのだろう。
まるで何事も無かったかのように。
出会う前のように。
(…いやだ。)
(…それはいやだ…)
闇の中、不意に起き上がる。よろめくように立ち上がって勉強机の上のスタンドを点ける。
ずり下がりかけたズボンを押さえて情けない気分になりながらも、引き出しを開けて通帳を取り出す。今年もらったお年玉と春休みのバイト代がほぼそのまま手つかずで、いくつか0の並んだ数字。長野―――この額なら余裕で行ける。
逢いたい、と思った。
ほんの数分でもいい。
例え何がなくとも、ただ、もう一度だけ、彼に。
*
それでも二日くらい悩んで、ようやくカヲルにメールを書いた。
あのとき言えなかったけど、実は趣味で観測もかねた一人旅に出たいと前から思っていて、長野付近に行くことになってる。時間が合えばそっちにも一度遊びにいきたい、と。
わざとらしいだろうか、いやがれるかなと何度も反問した。言葉をえらんで幾度も読み返し、途中、気持ちがくじけかけたりもしながらほぼ半日かかった。それでもついに送信ボタンを押したとき、脱力してその場にへたりこんだ。
送った後も、考えれば考えるほど勝算の無い話に思えた。
(これって殆どストーカーだよ…)
はっきり断ってくれるならまだしも、このまま無視されたらどうしようと心配しもした。そして暇さえ有ればメールボックスをチェックし、何も来ていないのにがっかりするのの繰り返し。
本当に馬鹿だと馬鹿だと自分にため息をつきながら、でも…これまでの憂鬱とは違う時間を生きている自分が居る。それは確かだった。
例え失敗に終わるとしても、またいつもの日常が戻ってくるにしても、今この瞬間だけは夢をみていられるのだ。
シンジには百年にも感じたが、カヲルからの返事はそれでも比較的早く、次の日には帰ってきた。
まがりなりにも振ったに等しい相手が、突然、親の実家付近まで自分を追いかけて逢いに来たいという、冷静に彼の立場を考えればかなり困った事態になっているはずなのだが、カヲルのメールの文面は基本的にシンプルかつ寛大だった。
『こんな遠くまでわざわざ訪ねてきてくれるというのなら、それはもちろん大歓迎だよ。空気のきれいなところだから、きっと観測にも向いていると思うよ。』
しかもシンジの予想以上にカヲルは「観測したい」という希望をまともにとらえたらしい。親切なことに、もしも宿泊地が決まってなければうちにも少し泊まっていけばと提案してくれたのだ。その結果、当初は長野市内のユースに何泊かして帰るつもりだったのが、カヲルのその実家にも二泊ほどさせてもらう予定になった。シンジには嬉しすぎる誤算だった。
出発の日、デイパックに小型の望遠鏡と星図を詰め込んだ。荷物を背負い相変わらず誰もいない家の玄関を出るとき、思わず「いってきます」と声が出た。
ここに次帰ってくるとき、自分はまるで別の人間になっているんじゃないか、一瞬そういう気がしたからだ。
続く
【作者後記】
というわけで恋するシンジがカヲルを追いかけて会いに行ってしまうようです。いやー最初話考えたときはこうなると本当に思ってませんでした。(←いいかげんですね)
展開がまったりしてダルいお話ですみませんがここまできたら頑張ります。