天体観測

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3.逃避/回想

家を出たのはほんの少し前だったのに、ずっと前のことのような気がした。

鍵を開けて部屋に入った途端力が抜けて、灯りもつけないままベットに倒れ込んだ。
先ほどまでの出来事がめまぐるしく頭の中をかけめぐり、目を閉じる。
夜11時。家にはシンジの他に誰もいなくて時計の音だけが聞こえる。いつものことだった。

母親は早くに事故で亡くなった。父は仕事で家を不在にする事が多く、子供の頃は隣町に住む親戚の叔母さんの家によく預けられた。
でも14、5歳になってからはそれも気が引けて、父に生活費をもらって殆ど自炊するような日々だった。
内向的で人と関わるのが苦手なシンジには、家事の煩わしさを差し引いてもこの方が気が楽だったのだ。


目を見開くと見慣れた天井。
カヲルの事を想う。
望遠鏡を覗き込んだときの彼の真剣な横顔が蘇る。かつて無く側近くに感じた、肉体の存在感。
手を伸ばせば届くほどの距離に、居た。

同時に、ほんのごく微かにだけど感じた彼の肌の匂いまで思い出した。

(あ…まずい。)

気が抜けたのと、多分この姿勢のせいだ。途端何だかスイッチが入った。
身体の中心に熱が籠る。

(…最低だ…俺。)

どうしようもなく後ろめたい気持ちになりながら、でも手は機械的にベルトをはずした。




―――現実逃避。
要は防衛反応。

無意識のうちに身体がわかってる。
感覚に任せれば、つかの間でも感情から目を背けられるって。


いやなことも、腹の立つことも、寂しいことも、
…今、胸に迫るような、この痛みさえも。




快楽が波打ち、目を閉じた。









シンジが自分を少し人と違うと気づいたのは、中学に上がって少しした頃、カヲルと会うよりずっと前の事だ。

ある夜留守番中に父親のPCでネットをしてて、偶然あるサイトを見つけた。
外国のページだった。多分アメリカ。何気なく好奇心で英語のスパムメールのリンクをクリックしたら、画面一面に複数のウィンドウが広がり、まず驚く。次に、サッカーボールのような胸をした金髪の女性が妙にてかてかした筋肉の逞しい男と絡まって脚を思い切り広げあられもない格好をしている動画に目が惹き付けられる。
だけど、本当にどきりとしたのはその下におまけのようにあった小さい映像だった。中途半端に大きいサイズの、Gay SexとかTeenagerとかいった単語が踊っているバナー画像。様々な肌の色をした少年達が、程よく鍛えられた裸の胸の前に腕を組んで太陽の光を浴び微笑んでいる。そして下半身は恐らく全裸。
震える手でそれをクリックしたら、更に大きい画像と、他の映像が出てきた。

その日からだ。
周りの誰にも言えない秘密が生まれた。
同級生が女の子の話をするたび曖昧な顔で受け流すことが増えた。
話せない。どういっていいか解らない。


2015年、遅ればせながら日本も同性愛者含めたセクシャルマイノリティ関連の法律を整備しつつあった。ついこの間、シンジのいる学校の授業でも「世の中には色々な人がいるのです」といって、男性も家事をしましょうだとか、女性が理系に向いていないというのは迷信だとかいう話に加えて、ゲイやレズビアンの人々のことも話題に出てきた。
だけど、どんなに世の中が変わりつつあるといわれても、中学生だったシンジにとってそれは遠すぎた。一番リアルだったのは、やっぱりどうしたって、隣に居た友だちのトウジの鼻で笑うような、一言。

「…そやかて、変態は変態やろ。」

聞いた途端、シンジは鳩尾に何かくらったような感じがした。
しかも周りがトウジの言葉に反応してどっと笑い、先生が注意しても尚収まらない。
一人黙ってその場を耐えた。

友人を恨む気持ちは微塵もなかった。その数ヶ月前にはシンジだって一緒にテレビのお笑い番組の「ホモネタ」をみて何とも思わず、うわっ、キモっ、とか言ってゲラゲラ笑っていたんだから。



でも寂しかった。
帰宅して誰もいない家で食事を作る気にもなれず、カップラーメンにお湯を注いでいるとき色々思い出し、気が滅入って何だか泣けた。

まるで、自分だけが世界から切り離されてしまったような気がした。
家でも独り。
だけど学校で人に囲まれていても、やっぱり――――独り。

中学という閉じた集団の中で自分一人が異質。
本当の自分を知ったら誰も自分を受け入れてくれないんじゃないか、日々そう恐れながら生きなければならない。



悩んで、悩んで、時が過ぎた。
そしてある日、あまりにもしんどいのでついに決意した。わかってくれそうな人を他所に捜してみよう、と。
広い世の中には自分と似た人がいるはずなのだ。
例えば、ディスプレイの向こうに。


14の夏だった。勇気を出して掲示板に書き込んだ。

出会いたかったのだ。
誰に?
シンジにもわからない。多分、誰でも良かった。
ただ、理解して話を聞いてくれる人を求めていた。誰かに助けて欲しかった。


年齢は「十代」とだけ書いた。内容はごく素朴に、そして本心から、「友だちがほしいです。」



つづく
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