天体観測

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2.告白

「ここからだと、南東の空がとてもよく見えるんだ。」

カヲルを導いて二人で狭いロフトに座り込み、観測台に取り付けられた天体望遠鏡の照準を合わせる。
まずは月面から始まって、次に適当に有名な星座やら天体やらを見せた後、言った。

「昨日の話に出てた、今年見られるちょっと珍しい天体現象ってのはこれだよ。」

促されるままカヲルが覗き込む。映っていたのはひときわ大きく明るい、赤い星。

「2018年、今年は火星が地球に大接近する年なんだ。前に起きたのが2003年だから15年ぶり。…本当に一番接近するのは今日じゃないけど。」

真剣な面持ちのカヲルの横顔、狭い空間、二人きり。緊張が喉元までこみ上げてくるのを努めてさりげないふりを装って、隠す。

「でも、今日くらい近いとこの望遠鏡でも火星表面の模様が見えるから…ちょっと見るくらいなら面白いかと思って。」

再び口を閉じたとき、舞台の台詞を言い終わったみたいにほっとした。カヲルはじっと望遠鏡に見入ったまままま目を離さない。
一瞬、次の話題を見失ったような沈黙が流れた。それはカヲルには何でも無かったであろうが、シンジには堪え難い長い間と感じられた。

「…ごめん。」

「え、何だい?」

「…ごめん。これだけなんだ。今日のハイライト。」

「何を謝っているんだい?」

「他にもっと…珍しいものが色々見られるような言い方したから…。」

「別にそんな…どのみち僕は詳しくないし。火星の模様なんて滅多に見られるものじゃないからとても印象的だよ。言われなければ知らずに過ごしただろうしね。今日、ここに来られて良かったよ。」

「あ…ありがとう。」

思わぬフォローにほっと安堵し、ついでに自分を見るカヲルの赤みがかった、それこそ火星を思わせるような不思議な色の瞳と視線がかちあって、心臓がはねた。
それはもう、しあわせ、という以外に何て呼べばいいんだろうと思うような瞬間。


だが、他愛無い高揚感に酔ったのもつかの間、カヲルの次の言葉にシンジは凍り付く。

「最後の夜にいいものを見られたよ。ありがとう。」

「え、最後…って?出発は二、三週間先じゃ…」

実は日付まで覚えているのだけど、わざと曖昧な記憶しか無いふりをした。

「うん。日本を発つのは確かにまだ二十日くらい後なんだけど、この街は今日が最後なんだ。明日、全ての荷物を船便で送ってしまったら、母の実家に滞在することになっている。…長野の方なんだよ。」

丁度お盆だしね、とカヲルが肩をすくめてわざとのように快活そうな声を出すのが、呆然とするシンジの耳に別世界のことのように響く。

「…碇くん?」

(今日が…最後。)

「どうかしたかい?」

(彼にはもう、会えない。)


衝撃につい、全く予定外の台詞が口をついて出た。


「…口実…だったんだ。」

「え?」


シンジの気持ちなども露ほども知らぬカヲルが笑顔のまま、少し怪訝そうな顔をする。
胸の動悸が激しくなった。

崖っぷちに立ったような気分。

ついさっきまで、少しでも一緒に時間を過ごせれば、それだけでいいと思っていた。
いや、それどころか昨日会わなければ、何も言わず別れを見送るつもりだった。

でも、出会ってしまい、ここに今二人で居る。


…そして今日を逃したら、もう二度と、彼とここに来ることはない。


きっと一生、ない。


だから——————



「天体観測をしようなんて言ったけど…実は口実だったんだ。」

シンジの言葉に、カヲルの目が見開かれる。

「一度、こうして、君と話が出来たらって思って…」

「…僕と?」


ああもう、引き返せない。
そして何かに背中を押されるような気持ちで、ついにシンジはそれを、言う。


「ずっと…好きだったんだ。君のこと。」



しん、とした空間に空々しく自分の声が響いたのを聞いた。
即座に、まともに相手の方を見ていられなくて俯く。

「…き、気持悪い奴で、ごめん。」

膝の上で握りしめた手の震えが止まらない。ああ、言っちゃったな、と自嘲する。

「その…渚くんには彼女がいるし、迷惑なだけだって解ってるんだ。お、男から、こんなこと言われて…。」

女の子と肩を並べて帰るカヲルの後ろ姿がふと、蘇った。
長い赤みがかった金髪の美少女、確かアメリカから来た交換留学生で日系クォーター。
二人がいると空気が違った。
そんな場面を何度見送った事だろう。自分には関係のない世界がそこにあると感じながら。


「でも…お、思い出が…欲しくて。」

最後の方は消え入りそうな声になり、目を閉じた。
頬が熱い。耳まで熱い。
このまま消えてしまいたいと思った。





夜なのに、蝉が鳴いてる。

数秒の沈黙が永遠のように感じられたあと、カヲルの声がした。


「顔を上げてよ、碇くん。」

おそるおそる目を開くと、ため息をついて、参ったな、と動揺を押さえるように額に手を当て、壁にもたれているカヲルの横顔。

「…色々なことが起きる時というのは、どうしてこう一度にくるんだろう。」

「…?」

意味がわからず呆然と見ていると、カヲルが振り向いて苦笑した。

「いや、ごめん。こっちの話。…実を言うと彼女とは、こないだ別れたんだ。」

「え?あ、ご、ごめん…。」

「別に君が謝ることじゃないよ。もうだいぶ前から行き違いがあったんだ。おまけに僕はドイツに戻るし。それで終業式の前にね、結局別れた。」

「…そ、そうなんだ。」

予想外の話にどう反応していいのか解らず、間抜けな声が出た。彼女の存在については何か自分と無関係の遠い存在のように感じていたから、思いがけず「恋 敵」が消滅して嬉しいなどという感覚はまるでなかった。ただ漠然と、まずいタイミングでまずいことを聞いてしまったような後ろめたさを感じただけだった。

だけど、次の台詞は更に想定外だった。

「あと…男だとか、それも気にすることないよ。僕も半分くらいは、君と同じようなものだから。」

「…えっ。」

「僕、バイなんだ。」

「……。」

一瞬、何を言われたのかわからず、頭の中でその言葉を反芻する。

「…別にだから、何がどうっていうわけでもないし、彼女と別れたのはそれと全然関係ないけどね。」

シンジは言葉を探すが、まるで出てこない。黙りこくっているとカヲルがくすりと笑った。

「でも変だね。最後の日にこんなタイミングで、君とこういう話をすることになるなんて。」

何ともいえない表情で、ちょっと切ないような、でも本当に屈託ない笑顔だった。




それから何を話したのか、あまり記憶に無い。
自分のしたことと、カヲルの思いがけない話にすっかり動揺していたのだろう。ロクに気の利いた事も言えないまま徒に時が過ぎて、そのうちカヲルの方がそろ そろ家に戻らないと、ということになった。東京での留学中は遠縁の親戚の家に厄介になっていることもあり、あまり変な時間に帰るわけにもいかない事情が あったのだ。


そして当然カヲルがシンジの唐突な告白を受け入れるわけもなく、気持ちは嬉しいけど、ごめんね、というニュアンスのことを婉曲に言われた。ぼんやりしていながらもそれだけはよくわかり、想定内のこととはいえ、シンジは改めて打ちのめされた。

だが、痛みの中にも思いがけない喜びはあった。それは何と言っても、彼がシンジを拒絶しなかったという事実だ。

自分の気持ちが理解と優しさでもって迎えられるなんて、万に一つもあり得る筈がないと思っていた。軽蔑や嫌悪すら覚悟していたのだから、それだけでまるで夢をみているような気分だった。


そして更に嬉しかったことがもう一つ。

彼はシンジに、メールアドレスをくれた。

「携帯は解約してしまうけれど、長野でも、ドイツに行ってからも、パソコンのメールアドレスは同じだから。」

と言いながら。



つづく



【作者後記】

シンジを天文ヲタにしてしまいました(っていうほどの知識じゃないか)。
なお、ここで書くべきかは不明ですが、実はこの話、「学校のどこかでシンジがカヲルと二人きりで喋ってるようなシチュのある話を作りたい」というただそれ だけの動機で始まりました。それが天文観測室になったのは只の偶然です。目的があって二人になれそうな場所としてふと思いついたのです。そしてその後、 Bump of Chickenの「天体観測」(ただしあれは確か春の歌)を聞いて何となくイメージが浮かんだんで決定にしました。そうでなければ体育倉庫とか、実験準備 室で「最後の思い出に…」とかいってエロいことをさせてさっさと終わっていたと思います。それがこんな展開になってしかもカヲルが長野とか 言い出して、いやはや自分でびっくり(←馬鹿
それではたして面白いのか?という疑問はありますが、ほどほどにまったり続けてみたいと思います。

純愛が、アプローチがとかいいながらさっさと告白して振られてしまいましたが…(汗
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