天体観測
11.Monologue One
二人でイッて倒れ込み、汗だくでハハと笑ったとき、カヲルくんがバスケかなんかの試合の後仲間にするみたいに僕の肩を軽くたたいた。そして額にキスしてくれた。あ、ナイスプレーってことかな。
使命を果たした気分がして僕は嬉しかった。
慣れた場所だからだろう。彼は先に眠りについてしまった。
僕は思い切り疲れてる筈なのになかなか寝付かれず、闇の中で目を開けてじっと知らない天井を見ていた。
斜め上、カーテンの隙間にのぞいた窓から夜空が見えてる。
もう明け方が近いはずけどまだ夜の色をしていて、星が瞬いていた。
『あの手この手で手がかりを探すわけだ。見えないものを見つけるために。』
星空の下での会話を思い出す。
今見えているのは本当に僅か空の片隅を占める星座だけ。幾千万もの天体が隠されている。
でもそれすらも些細な一部にすぎない。望遠鏡がないと見えない天体も、光では決して見えない天体すらある。
とりとめもなくそんなことを考えて思った。なんか人間の話みたいだなって。
…人なんて、宇宙に比べたらこんなにちっぽけなのに、それでも全然みえない。
…わからない。
あのときカヲルくんも…そう考えていたんだろうか?
三日間、学校では知り得なかった彼を見た。
それがごく僅かな部分でしかないことを知った。
どんなに肌を合わせても近づけない。その先に広がる計り知れない未知の領域がある。
そして一秒一秒、今までも知らなかった彼が現れて、発見に終わりは無い。
『僕の行動原則には、自由と快楽しかない』
そんな台詞を吐いたくせにあのときの彼は、どこかこの世の現実ではない、遠い場所を見るような眼差しをしてた。
カヲルくんの心には恐らく誰もが入り込めない透明な領域が有る。
語られなかった想いが、僕の知らない過去がある。
(もともと違う国、違う言葉で育った人。)
一人は恐いと泣いた僕に、人はどこまでいっても最後は一人なのだと彼は答えた。穏やかに、だけどごまかさずに突き放す。
僕はどう反論することも出来ず、ただ、それをすごく彼らしいと思った。
そのくらいには僕も彼を把握し始めていたのだ。
他人。近くに体温を感じたから、距離もわかった。
僕の思う通りにならず僕とは違う世界で生きてきて、これからもそうであり続けるだろう人。
…けれど。
横を向くと安らかな寝顔。月明かりが照らす長い睫毛はほのかに銀色。
それでも、触れてみたかったんだ。
だって僕にはどのみち他に何も無かった。何も。
(…あの大人の手の記憶くらいしか。)
カヲルくんの手をそっと握る。
すると軽く握り返してきたから、一瞬、起こしたかと思ったけど違った。
眠っていても僕がわかるのかな?
それとも…
物心ついてから、眠るとき誰かが傍らにいた記憶ってあまりないからわからない。人間の眠りがどのくらい浅いとか深いとか、意識した事も無かった。
*
そして短い夜は明けて、僕は東京に帰っていく。
来たときのようにカヲルくんは駅まで送ってくれた。
「ありがとう。ほんとにお世話になっちゃって…何から何まで…。」
ドイツに行っても元気でね、と言おうとしてちょっと胸がいっぱいになり言葉が出なくて、はは、と笑ってごまかしたら、ふと彼が真顔になった。
「お礼には及ばないよ。シンジくん、僕の方こそ…」
だが次の瞬間何かを言いかけて、やめた。その代わり気を取り直したように寝不足の目を細め微笑み、ドイツ式の挨拶をしてもいいかな、と訊くのだった。
腕を互いの背に回して抱き合う挨拶。
「友だち同士の挨拶。しばらく会わないときだとか、特に。…今の季節だと、少し暑苦しいけれど。」
友だち同士という言葉を僕はまっすぐに受け止めた。抱きしめられ胸が少し痛んで、寂しいような腹立たしいような、でも体温が触れるからすごい幸せなような気分もしてもうわけがわからない。
ここで君に会えてよかった、耳元で柔らかな声がしたけど僕は答えられなかった。
身体が離れたときカヲルくんは静かに微笑んでいた。
改札口、別れた後で振り返った。帰ろうとする姿が視界に入った。
行かなきゃ、と思いながらも、何だか足が動かずそのまま立ち尽くし、後ろ姿を見送る。
彼がすっかり見えなくなったときのことだ。
ため息をついてうつ向いた途端、不意にこみ上げるものがあった。視界がぼやけ、慌てて天井を見上げる。ぼやけた視界ににじむ蛍光灯の光。
涙をごまかしながら、よろよろと側の壁に歩み寄りもたれかかる。少し上目遣いになったりしながら改札の向こうの風景を見つめる。また小さなため息が出た。
傍らを人々が忙しげに通り過ぎていく。
…恋愛って何かな。
一緒に夜を過ごした後、カヲルくんは友達で居ようと言った。
この場合、僕は一体何を得て、何を失ったんだろう?
僕はどう反応するべきだった?
僕を見てよ、ちゃんと好きになってよ。でなきゃいやだ。
…例えば、そう叫んでみるべきだったのかな。
それとも「普通の」友だちとして、ただ普通に話をして、指一本触れずじゃあねって笑って別れるべきだった?
わからない。
…わかるのはただ、そのどっちも僕には無理だったってことだ。
ただ、抑えられなかった。
僕を気持悪いっていわない人に出会えて、しかもそれが当の好きな人だったんだ。
嬉しくてたまらなくて、もう何でもいいから一瞬でも長く側にいたくなった。ぎりぎりまで近づきたいと思った。
他にどうすることもできなかった。
たとえ愛されていてもいなくても。もう何でもいいから、ただ少しでも近くに。
…それだけ。本当に、たったそれだけ。
もたれかかった壁がひんやりと半袖から伸びた腕に冷たい。
機械的なアナウンスが流れる。
「4番線電車が発車します。次の東京行き電車をお待ちのお客様、危ないですので白線の内側に下がってお待ちください。」
……そして目的は、達された。
そう――――思っていいんじゃないかな?
遠くに発車のベルを聞いた。
感傷を振り払うように、ようやく身を起こし改札に背を向ける。
彼をすごく好きだった、と思った。
よくわからない、恐らくは一生知り得ない部分や、肝心なことは決して口にせず、友だちで居ようと言ったその残酷さも含め、ぜんぶ。
きっといつまでだって、忘れない。
今のこの気持ちと、彼と過ごした三日間のこと、ずっと。
この先の人生、傍らに彼がいてもいなくても。
そしてそれは不幸なことじゃない。
潤んだ瞳が乾いていく。
深呼吸を一つして、僕はまた歩き出した。
続く
【作者後記】
前回からえらい時間がたってしまいました(汗
次回最終回…の予定。
突然シンジのモノローグになりましたが、次回も唐突にカヲルさんのモノローグはいります。
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