嫉妬

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  (4)  

シンジにとってはまったく未知の世界、二丁目。
今度はどこに連れて行かれるかと内心ひやひやしていたら、二人がたどり着いたのは近くのファミレスだった。
白々しく明るい照明、てかてかした安っぽい内装、慣れ親しんだ世界の匂いを感じて、思わずシンジは安堵のため息をつく。
にこやかな店員に案内され、ふと、傍らのカヲルが女装のままであることに気づいて冷や汗をかくが、よく周りを見わたすと、先ほどのイベントや他の同種の場 所から流れてきたとおぼしき女性や男性が少なくないことに気づく。言葉ではうまく説明できない些末な部分でシンジは敏感にもそれは感じ取った。
明らかに「女装」「男装」をしてるとわかる人もいるが、それ以外は多分、何も知らずにいれば気づかず通り過ぎていたような一見「普通」の人々。だけど、僅 か小一時間とはいえ多少雰囲気を知った今、微妙なところで見分けがつくことに、シンジは自分でも驚いていた。そして、場所が場所ということはあるが、カヲ ルが全く自然にその場にとけ込んでいることに最初ほどには違和感を持たなくなっている自分にも気づいた。

「何飲む?シンジ君。」
「あ、じゃあ、コーラ‥。」
「コーヒーとコーラください。」

飲み物が運ばれてくる間、二人は黙っていた。

「惣流さんのことだね。話したいのは。」
待ちくたびれたように、カヲルから単刀直入に切り出す。
ストローを加えたまま、シンジは一瞬固まる。

「‥うん。」
「どうして僕が彼女と、っていうことかい?訊きたいのは。」
「‥わからない。違うような気がする。わからないけど、ただ‥」
実際に、シンジは何を言いたいのか、わからなくなっていた。

「僕と直接会って話したかった?」
「多分…。」
「わかったよ、シンジ君。」
「…カヲル君、アスカのこと…どうしたいの?」
カヲルは肩をすくめる。
「別に。特にどうもしないよ。むしろ、惣流さん次第かな。」
「別に、って、それはちょっといい加減‥じゃない?女の子とエッチしておいてそれは無責任だよ。…カヲル君は遊び人みたいだからいいけど、アスカは違うし…。」
「彼女はまだ、君とつきあっているんだろう?」
「…そうだよ。」
「君は、彼女が僕とするのはイヤなんだよね?」
「うん。…イヤだ。すごく、イヤだった。」
「だけど、君も浮気したわけだ。綾波さんと 。」
「……うん。」
「それで、本当のことを知って怒った惣流さんが、当てつけに僕を誘った。」
「‥‥。」

「僕に何を言って欲しいんだい?君が浮気したいなら、すればいい。惣流さんについて行った僕がムカつくなら、そう言えばいい。それは君の自由だし、僕があ れこれ言う事じゃないだろう。ただ、君が浮気したから惣流さんが仕返しに僕を利用したくなったわけで、それは彼女の自由意思によるものだ。それを君がとや かく言う権利は、ないんじゃないかな。」

よどみなくここまで一息に言い、カヲルは少しシンジの反応を待ったが、無言。そこでまたカヲルは話を続ける。

「僕が誘いを受けることについていえば、確かに僕は君の友達だと思っているけど、そのことだけで彼女の誘いを断らなければならないとは思っていないんだよね。正直なところ。」

シンジは反論出来ない。何かを言おうとしたが、うまく言葉にならなかった。

「…カヲルくんは‥ちゃんと女の人とでもソの気になれる人なんだ。知らなかったよ。」

苛立ちに背中を押されるようにかろうじてつぶやいた。その言葉に含まれていた辛辣な調子に一瞬カヲルはは口をつぐむ。薄い色の瞳がまっすぐにシンジに向けられ、シンジは思わず視線をそらす。

「うん。僕はバイだからね。男も女も僕には等価値なんだ。」
「アスカのことが…スキなのか?」
「ああ、好きだよ。ちょっと難しいけど、いい人だよね。惣流さんは。」
「そういうんじゃなくて、軽い意味じゃなくて、ちょっとでも、その、あ、愛してるのかって、聞いてるんだよ。」
「シンジ君、僕は誰も『愛したり』しないよ。」

シンジははっとして、ようやくカヲルに視線を戻す。カヲルはひるむ様子もなく、淡々と続ける。

「僕の哲学なんだ。僕には友情と快楽しかない。そして、出来る限り他者とそれを与え合い、分かち合いたいと思っている。夫婦とか、恋人とかを語るときに使われる意味での愛、というものは僕には存在しない。必要性を感じないし、多分理解も出来ないんだ。」

一瞬、何を言われているのか、シンジには理解出来なかった。
口の中でぬるくなったコーラが、ゆるゆるとのどの奥に流れ込んでいくのを感じながら、かろうじて言葉が意味を取り、返事を紡ぎだす。

「ちょ、ちょっと待ってよ。…そ、それって…都合がいいだけじゃない。それで、適当に気に入った人と誰とでも、しかも、男とも女も、相手に彼氏がいようがいまいが、見境なくってわけ?」
「まあ、確かにそうも言えるね。」
「----- 随分、自分勝手なんだね。」

たたみかけるように間髪をあけずに言い、シンジは緊張で心臓がどきどきと高鳴るのを感じた。他人にこんなに直截にものをいったことは、そういえば今までの人生になかったからだ。

「人のことが言えるのかい、シンジ君。そして、君のいう『愛』が欺瞞‥すなわち、君にとって都合のいいところを含んでいないとでも?」

カヲルの眼差しがいつになく鋭くシンジを射る。シンジはまた、言葉に詰まる。いつも穏やかな表情しか知らなかったカヲルの違う雰囲気に、呑まれそうになる。

「君は、惣流さんのことを愛している?」
「そ、そりゃ、当たり前でしょ。だからつきあってるんだし。」
正直、愛、なんていう語彙はシンジにとってドラマや映画からの借り物のように遠く響いて、使いたくなかった。
でも、だからといって他に、自分が今感じているこの感情へのこだわりを表現する術があるわけでもなかった。

「愛しているから、嫉妬する?」
「…ああ。」

ぶつかり合う視線。そして、沈黙。
不意に、カヲルの表情がゆるんだ。

「ねえ、シンジ君。」

少しうつむき、長い灰銀色の前髪が顔に寂しげな影を落とした。
斜に構えた視線が先ほどとは違った憂いを帯びてなまめかしく見えて、シンジは今度は、別の意味でどきりとする。

「君は‥。」

彼が何かを言いかけ、躊躇った。そのとき、

「おー、カヲルー!」

二人の間にただよう微妙な雰囲気など全くお構いなしの、テンションの高い声。
マナだった。良くも悪くも全てが台無しになった。
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