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  初夏の午後  

5.

駅から寮までは少しの道のりがある。まだそんなに遅いわけではなかったが、郊外の閑静な住宅街を抜けて寮と学校のある小高い丘を登る細い道にはあまり人気がなかった。治安が悪い地域ではないが、一人では少し緊張する道。

緩やかな坂を上る少しの間、二人の間に沈黙が流れた。ほの白い街灯の光が二人を照らしている。

ふと、先ほどの話が脳裏によみがえった。ほかの話題を探そうとしたが、出てこない。躊躇の後、アスカは口を開いた。

「…ひとつ、訊いてもいいかしら。」
「何だい。」
「シンジとのこと…。」
「どうぞ。」
「いつから…好きだったの。」
「ずっと、前から。」
「そう…。」
「気になる?」
からかうような顔でカヲル。
アスカは別に、とはぐらかそうとしたが、ふと、意地悪な気持ちがもたげる。

「どうやってふられたの?」
「わからないな。実は、はっきりとふられたわけじゃないんだよね。告白はしたけど。」
肩をすくめるカヲル。
「えっ、いつの間に?」
「…それは内緒。で、僕は、まあ、別に彼女がいてもいいって言ったんだけどね。そういうのかまわない方だし。」
「何、それ。あたしはかまうわよ!つうか、フツウはいやよ。」
「…うん。まあ、そうだろうね。『フツウ』ならね。まあ、そういうわけだから、告白して、その後がなんと言えばいいのか……はっきりふられていないんだ。そうじゃなくて…」

ふと、カヲルの表情に皮肉めいた微かな笑みが浮かんだ。
「拒絶されたんだ。告白の事実自体を、なかったことにされた。」
語気が不意に辛辣な調子を孕み、アスカははっとする。

「正直言って後味は最悪。聞かなかった事にするよ、ごめんねって言われて、すぐに話を変えられたんだ。それはおそらく、多分、彼にとって男である僕のアプローチが想定外のことで、どう対処していいのかわからなかったから。」

カヲルは淡々と語りながら、遠いところを見るような眼差しを宙に向けた。
「次の日彼に僕が電話をかけると、何事もなかったように彼は答えて、フツウにしゃべっていたよ。」

アスカはふと思い出す。ついこないだ、シンジとテレビを見ていたときだ。カヲルが電話をかけてきて二人で他愛ない話を15分くらいしていたことがあった。ひょっとしたらあの時はもう――?

「彼は僕と変わらず接してくれた。それ自体は嬉しかった。そしてついこの間も、思い詰めた目で君とレイのことを僕に相談してきてくれたよ。」
「サイテーね。」
しばしの沈黙が流れた。

「気に障ったらごめん。僕が何を言いたいのかわからないだろうね。」
「わかりやすくはないけど、だいたいわかるわよ。シンジの態度にショックを受けて、落ち込んでたんだわ。」
「まあ…要はそういうことだね。」
「で、何、鬱憤はらすためにあたしをお茶に誘ったってわけ?」
「え、ああ、そうだね。確かに、うん。そうだったんだと思う。」

ふと横を見るとカヲルが、ほろ苦い微笑みを浮かべていた。ほの白い街灯の光で長い前髪が寂しげな影を落としている。アスカには初めて見せる表情だった。


「自分でも、今よくわかった。僕は正直大分参っていたんだ。」
少し間をおいて、再び口を開いた彼は言った。
「だって、わからなかったんだ。どうして僕を拒絶しておきながら、あんな風に頼ってくるのか。僕との話は話題に上らすことも許さない感じなのに、どうして他の人とのことを相談してくるのか。あんな風に、ゆだねるような目で。」
「それは…同性の友達としてのあんたを求めてるからじゃない。それは、セックスをする異性との関係と全く違うものなのよ。」
「そういうものなんだろうね。君たちの論理では。でも僕にはわからないよ。僕にとって、異性と同性は殆ど等価値なんだ。」
「そうよね。」
「あと、これは僕の特殊事情だけど…。」

一瞬のためらい。沈黙。そして、カヲルは言った。
「多分、友情と愛情の区別も僕にはあまりつかないんだ。」
表面上は淡々と、でも、押さえていた何かを吐き出そうとするような声だった。

「……。」
「両方とも、想うこと、他者を受け入れたり、受け入れられたりして悦ぶことに他ならないだろ。」
「そう…かしら?」
アスカは眉根を寄せて、必死に言葉を探そうとする。確かに。論理的には、正しい。でも、言葉に出来ない違和感――

「君が同意出来ないのは、わかるよ。…でも、僕には、友情も愛情も、一続きの感情としてしか捉えられないんだ。ただ、相手を欲しい、受け入れたいと願う、その強度が異なってくるだけで。」
「強度…?」
「うん、そう。うまく言えないけど…僕にとって、友情と愛情は質の違いじゃなくて、強さとか、距離の取り方の違いなんだよ。そして、欲しいという気持ちの中には、セックスが入ってきたり、または全然そうでなかったりする。しかもどっちになるかは気分次第で、自分でも予測なんてつかない。」

奇妙な独白。余裕かました遊び人としてしかカヲルを認識していなかったアスカは、初めて彼にある種の痛々しさを感じた。
この人は一体どういう人生を生きてきたんだろう。唐突な疑問が頭をもたげる。街灯の光で暗闇に浮かび上がる乳白色の肌が、アスカの知らない夜の翳りを帯びて見えた。

「…お生憎様、ごめんなさいね。シンジじゃなくて。」
根拠の無い同情で少し気分が悪くなったのを隠そうとしておどけてみた。
「まあ、それはお互い様でしょう。」
「そうね。ホントにそうね。それにしても、どうしてあのバカ男ばかりモテモテなのよ!頭に来るわ。」
「はは…そういえばそうだね。変な話だ。」
「そうよ!」

わざとらしく口を尖らせながらも、ふと、シンジの面影がアスカの脳裏に浮かんだ。
よく、こんな風にして、二人夜道を歩いた。
学校帰りでも、ホテル帰りでも、いつもアスカは先頭に立って歩き出すのだが、そのうち並んでしまい、気づくと斜め前にシンジの後ろ姿を見ていることがあった。広い背中、制服の白いシャツからのぞくうなじはもう青年のそれに近かったが、まだ少年らしい爽やかさを残していた。

不意に突き上げる感情があって、アスカはまるで痛みのような感覚が胸に迫るのを覚えた。
瞼が熱くなり、視界が急にぼやけた。
彼のことを好きだったと思った。不意に蘇るこんな一瞬の映像にすら、身体と思考の全てがざわめくような感覚に包まれるほど、好きだった。
例えその想いが所有欲と打算と自己愛に彩られていようとも。

だけど今、目の前に居るのは別の人。数時間前に交わってしまった、他人。
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