eva ss
初夏の午後
3.
どちらからともなく、手と手が重なる。カヲルはアスカの動きに最初は身をゆだねるようなふりをしたが、さりげなく肩に手を回しアスカを抱き寄せ、キスした。最初は軽くふれるように、そしてだんだんと深く。そのままアスカを横たえると、額、頬、耳、首筋と軽い接吻と共に唇をはわせていく。
確かに、うまいじゃない、とアスカは心の中でつぶやいた。動きに無駄がないし、ためらいがない。
楽器のどこをどう抑えれば、どういう音色を奏でるのかがわかっているとでも言わんばかりに、カヲルの手と唇がアスカの身体を滑っていく。
「気持ちいい…」
「僕もだよ」
確かに気持ちよかった。シンジとするときの、あのもたついた、ぎこちないムードと違って、何か確実な流れに身を任せ、たゆたっていればいいような心地に全身が包まれていた。
だが、感覚が上り詰めようとする直前で、何かがうまくいかないことにアスカは気づいた。
カヲルが上に覆い被さる形で仰向けになったまま、アスカは目を薄く開ける。
黒い影になったカヲルの肩の一部の曲線と、天井が目に入った。それは異様な体験だった。身体は確かにある程度反応しているのに、心が途中でそれを見失ってしまったような、取り残されたような感じ。他人の指が自分の中で水音をたてて泳いでいる傍らで頭が急にさえてしまって、他人事のようにそれを聞いている。
やだ、あたし、どうしたんだろう。
困惑と戸惑いに襲われる。こんな奇妙な感覚は初めてだった。
どうして?これで、いいはずじゃない。他の男とこのホテルでやってやる、そして、思いっきり楽しんでやる、そう思ってたはずじゃない。なのに、どうして?
「…惣流さん?」
カヲルは恐ろしく相手の気配に敏感だった。アスカは微かな狼狽を覚える。
「え…あ、ごめん…ちょっと、ボーっとしちゃって…」
「…少し、休む?」
「え…ううん、続けましょ。」
「本当に大丈夫?いやなら無理しなくていいんだよ?」
「いやじゃないわ。」
「でも……上の空じゃない?」
よどみなく動いてみせながらも、実はカヲルもそれほど集中していなかったことにアスカは気づいた。まるで行為に没頭するような顔をしながら、その実自分のことを随分冷静に観察していたみたいで、屈辱混じりの不愉快な感情が頭をもたげる。
「いいから、かまわないで。」
「そういうわけには、いかないよ。一応、二人でするものでしょう。セックスって…。」
「だから大丈夫だっていってるでしょ…。」
「そうはいっても。」
気遣うような、カヲルのまなざしがアスカのプライドの琴線に触れた。
「何よ、うるさいわね。やるのかやらないのか、はっきりしなさいよ。あたしはいいって、言ってるでしょ。」
自分の尖った声で、それまで計算され演出された親密さが一瞬で台無しになったのがわかった。だけどもう止められなかった。数秒の沈黙。
「確かに、口ではね。だけど…。」
「だけど?何よ。」
薄やみの中カヲルと視線がかち合う。透き通るような赤灰色の、瞳。
「身体はそういっていない気が、した。」
今度はぐっ、とアスカが返答につまる。
「な、何よ…。」
カヲルはアスカから少し体を離して、彼女の傍らに身を横たえた。片肘でほおづえをつきながら。
少女は言葉が出ないまま、空をにらんでいる。少年はそっと自由な方の手をのばして彼女の頬をなでようとした。だが、彼女は顔を背けて拒絶する。行き場を失う、手。
やっとのことで、アスカは口を開いた。
「…何よ、カッコつけてるくせにいざというときに役に立たないのね。 」
声が震えないようにと精一杯になっているのが自分でも情けなかった。
何よサイアク。とんだ見かけ倒しじゃない。こんなやつ大嫌い。こんな場所も大嫌い。
ああ、でも。
何よりも、最低なのは、大嫌いなのは、このあたし。
浮気一つ満足にできない、かっこわるい、まるでイケてない、このあたし。
何もかもが腹だたしく、そして惨めだった。だから、せめて、それを悟られずにすべてを終わらせたいと最後の決め台詞を探した。
そして、見つけた。
「もう、いい。出てって。」
短く言い捨てて寝返りを打ち、カヲルに背を向けた。ひどい台詞だと自分でも思った。悔しさが、あふれて止まらなくなった。自分がどうしようもなくイヤだった。何もかもイヤだったから、カヲルがこのまま怒って出て行って、二度と顔を合わせなければいいと思った。
だけどカヲルは傍らでほおづえをついて黙ったまま、アスカの背中を見つめている。
そして、不意にぽつりと言った。
「あのさ、僕、シンジくんが好きだったんだ。」
全く何気なく、唐突に。
「だけどふられたんだ。ついこの間。先週だったかな。」
「…って、あんた…。」
思わずアスカは身を起こし、カヲルの方に向きなおる。穏やかな光をたたえた瞳と視線が交わる。
「だから、僕はシンジくんを好きだったけど、この間ふられたばかりなんだ。」
「何よ…それ。」
アスカは唐突さについていけない。本気にしろ冗談にしろ、あまりにも馬鹿馬鹿しいタイミングだと思った。彼女は嗤おうとするが、顔がこわばり奇妙に歪む。
「変な話だよね。」
カヲルはふっと微笑んだ。そして起き上がり、自分を凝視するアスカの顔を覗き込むように顔を近づけて、ささやく。
「僕たちは…同じ人が好きだったって、わけだ。」
アスカは黙っている。
そっとカヲルは彼女の頬に手を伸ばし、なでた。今度は拒絶されない。触れた頬は冷たく濡れて光っていた。
緊張のみなぎっていたアスカの身体から、ふと力が抜ける。カヲルはそのままもう片方の頬をぬぐった。そして彼女を、抱きしめた。
17の少年にしてはできすぎた台詞、振る舞い。日常の彼女なら、やめてよ、気持ち悪い、とか、かっこつけないでよ、と突き飛ばしていたかも知れなかった。
でも今だけは、その気力もないほど何かに傷つき、弱っていた。
だから無言でカヲルの行為を受け止め、目を閉じた。
涙が少し流れ、止まった。
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