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  初夏の午後  

2.

歩きながら、二人はまた特に記憶にも残らないような他愛のない話をした。
行きたいところがあるなら、僕は君についていくよ、とカヲルは屈託が無い。
アスカはまだ決心がつかないでいた。そのうち、少し道を間違えた。あれ?と思っている内に、見たことのない小路地に出る。

「道を間違えたね。この辺はラブホばっかりだよ。」
淡々と話すカヲルの声に、鼓動の音が大きくなったのを感じた。結局、意図せずに、絶好のロケーションにはまりこんでしまったのだった。
「‥ほんとだ。」
「引き返す?」
何の気負いも無く、カヲル。
一瞬の間。
そして、不自然に続いた沈黙に背中を押されるような形で、ついに、アスカはそれを言う。

「ここで、休んでっちゃおうとか言ったら、どうする?」

とびきり上等な、と自分では信じている誘惑のための笑みを浮かべていたが、緊張で足が震えるのを感じた。
自分から、恋人でもない男をこんな風に誘ったのは初めてだった。

カヲルが一瞬、えっ、と呆気にとられたような顔をする。だがそこは遊び人の名に恥じず流石のもの。すぐにいつもの洒脱な雰囲気を取り戻した。

「それは‥率直にいって大歓迎だよ。でも…いいのかな?」
「あたしが、いやなのに我慢してこんなこと言う女だと、思う?」
「いいや。」
「ずっと前から、あんたのことはいい感じって思ってたわ。」
なんて直球の台詞。自分で言ってて恥ずかしかった。胸はまだ早鐘を打ち続けている。ああ、だめだわ、口先ばかり。ほんとは経験も少なくて、こんな台詞全然似合わないのに。

「それは光栄だな。喜んで自分の役を務めさせて頂くよ。」
微塵も動揺の色を見せず、カヲルは受けて立った。ふっと柔らかく微笑みながらさりげなくアスカの手をとり、軽く口づける動作までしてみせた。普段だったらバッカじゃない?と即座に払いのけるような行為なのに、そのときのカヲルには納得させてしまう雰囲気があって、アスカは少し気圧される。ひたすら、手が震えているのが伝わりませんように、と願った。

実際に二人が入ったのはその路地から少し歩いたホテル、シンジとアスカが知っているあのホテルだった。アスカは計算していた。馬鹿馬鹿しいとわかっていても、復讐したかった。もちろん、カヲルは何も知らない。

アスカが先にシャワーをあび、カヲルが入れ替わりに入る。カヲルは本当に何も訊かなかった。突然誘われて一瞬はびっくりしていたけど、後はまるで何事も無かったようなにこやかさで、全く関係ない話題に談笑すらしながらこの部屋まで一緒に来た。

あたしにとっては、一大冒険でも、こいつにとってはどうでもいいことなんでしょうね、アスカは思った。
そもそも、男にとって据え膳がどうのっていうのは、彼らがそれで被害を受ける確率が低いからだわ。女は大抵男より小さいし、力も弱いから、据え膳食ったらレイプされた、なんてことも殆どないしね。

バスローブ一枚の姿でそんなことをごちゃごちゃ考えているうちに、カヲルが戻ってきた。

「待たせてゴメン。ここ、けっこう使い心地いいね。シャワー。つい長々と浴びてしまったよ。」
「‥そう?良かったわね。」
「そう思わないかい?」
「別にぃ。うちのシャワーの方がいいし。」
「でも、ここは雰囲気いいよ。始めてきたけど。つまり…評価に値するね。」

日系クォーターのドイツ人とはいえ子供の頃から日本で教育を受けたアスカと違い、カヲルはずっと欧州で教育を受けてきた。しかも、ここ数年ほどは日常で日本語をあまり使わず、むしろ外国語として学んできたらしい。そのため彼の言葉は時々少し変だった。

「何か飲み物でも飲む?」
「そうね。冷蔵庫に入っているみたいだし。ビールでもある?」
「高校生なのに…ここは日本だよ?」
「うるさいわね〜。あんた、学校の先生?」

カヲルは自分には軽い発砲系のお酒を選び、アスカのためにビールを手に取った。同じようにバスローブを着て、一回り大きい彼がごく自然にアスカの隣に腰掛ける。びくり、と反射的に体に緊張が走ったのをアスカは感じた。
気配を感じたのか、カヲルも一瞬動きをとめたが、気を取り直したようにアスカの方に向き、ビールを手渡した。そして、
「ドイツのビールと日本のビール、どっちが好き?」
とアスカからすればどうでもいい質問を一つ。
「あたし、ドイツのことはあまり知らない。殆ど日本にいたもの。」
「ああ、そうだったね。」
「でも、日本のことならその辺の、何の疑問もなく日本国籍やってる人たちより、ずっとよく知ってるわよ。」
「自らのアイデンティティに疑問をもたない人々ほど、己の由来するところについて知ろうとはしないものだからね。」
「まあ‥そうね。」

二人の間に一瞬の沈黙が訪れた。
そして、カヲルが言った。微妙に、それとわからないくらい声のトーンを変えて。
「僕はまだ、知らないことも多いから…色々な事を教えてほしいな。ゆっくりと。」
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