eva ss
初夏の午後
1.
どうしてあたし、こんなところにいるのかしら。
しかも、こいつといっしょに。
惣流・アスカ・ラングレーはため息をついた。ブラウスのボタンを一つ一つのろのろとはずす指からして、やる気がない。
繁華街の小さなラブホテルで、今にもシャワーを浴びようとしていた。外では一人の少年がのんびりとベットの端に腰掛け待っている。それは、つきあい始めて半年経つ彼氏の碇シンジ、ではなかった。
渚カヲルをホテルに誘ったのは、アスカの方だった。
だが、その前に偶然街に出かけた帰り道の電車が一緒になり、ヒマがあるならお茶でもと喫茶店に誘ったのはカヲルの方。
一度ゆっくり話してみたかったんだ、君とはね、と端正な顔で少年は微笑んだ。
最初彼女は断ろうとした。彼氏のシンジの友人とはいえ、文化祭の企画委員を一緒にやった、という程度の知り合いにすぎないカヲルと話すのも、そのときの気分からすると、わずらわしいものでしかなかったからだ。
だが結局、まあそういわずに、いい感じの午後じゃない。それに、僕が払うよ、と口調も爽やかなカヲルになんとなく断れず、彼の行きつけという地味だけどちょっと小洒落たカフェについて行った。
席について、二人の頼んだウィンナーコーヒーとハーブティーが運ばれてきたとき、アスカは視線をあげずに、言った。
「聞いてるんでしょ。シンジから。あたしたちのこと‥。」
「‥うん、まあね。」
「やっぱり。でもね、はっきり言うけど、こういうの、余計なお世話だわ。」
カヲルはほおづえをついて、少し目を細めてアスカを見る。いつもの、人当たりの良い微笑みをかすかに浮かべたままだ。薄い色の長い前髪に斜め横の窓から射す午後の陽光が透けている。
「それもあるけど、どっちかというと、僕は君と他の色々な話がしたかったんだよ。もっと前からね。」
「…で、よりにもよって、シンジと大げんかしたあとのあたしを誘ったってわけ?」
「電車が一緒になったしね。…タイミングが悪かったのは、謝るよ。でも、君、いつも忙しそうにしてるんだもの。」
それは本当だった。シンジとつきあったり、親友と遊んだりするほか、アスカの日常はスケジュール満載だった。美容のため週一で通っている東洋武術の道場や、もう一つの母語であるドイツ語のレベルを保つための補習教室、趣味で初めてそこそこのレベルにはいっているバイオリンの稽古‥。
だが、今日のアスカはその元気もなく、学校から早々に電話をかけて、体調不良だから休むといって道場には行かなかった。そして偶然カヲルと鉢合わせたのだ。
「シンジから‥どこまで聞いてるの?」
「‥どちらかというと、その話をしたいのは、君の方だね。」
カヲルはちょっと困ったような笑みを浮かべ、コーヒーカップを口に運んだ。
「‥うるさいわね。さっさと白状しなさいよ。」
図星をつかれて苛立ちながらアスカは上目遣いで彼をにらみつける。
「やれやれ‥。仕方がないな。‥さほどのことは聞いてないよ。そもそも人のことだし。‥ただ、ちょっと三角関係に陥って困っている、とか彼は言っていたよ。でも、たいしたことじゃない、とも言っていたけど?」
「‥たいしたことない、ね。‥あのバカ人の気も知らないで。」
こないだの日曜日、シンジと連絡がとれなかった。携帯に留守電をいれても、メッセージをいれても、いつもなら1時間もたたないうちにかならず返事をくれるのに、月曜日になって学校で会うまで連絡が無かった。学校ではいつも通り休み時間に話をしたりして過ごしたけど、様子がどうも変だった。
何が起きたかわかったのは、火曜日になってから。放課後、シンジが神妙な顔で、話があるんだと切り出した。そして、日曜の午後中、昔の彼女、綾波レイと過ごしていたこと、それ以来彼女のことが気になってしょうがなくて、でもアスカも好きでどうしていいか悩んでいる、と言ったのだった。
レイはシンジの最初の彼女だった。それを半年前、アスカが半ば強引に迫り、あまり女慣れしていないシンジはあっさりとなびいて、アスカのものになったのだった。だが、結局元鞘も忘れられなかったというわけだ。
どこにいたのよ、と問いつめたら馬鹿正直にシンジは、渋谷の円山町の坂をあがってすぐのあのホテル、と後ろめたそうに答えた。二人がつきあい始めた頃最初にエッチしたところだった。既にレイを知っていたシンジは童貞ではなかったがホテルは初めてで、アスカもあのホテルはシンジとしか行っていなかったから、二人にとってはそれは思い出の場所なはずだった。
ふとそんなことを思いだし、悲しさと苛立ちがアスカを覆った。バカシンジ。あんたがあそこで他の女とするんなら、あたしだってしてやるわよ。
ふと、カヲルと目があう。
こいつ、ルックスがいいし、遊んでそうだし、女扱いもうまそう。ううん、男だって知ってるって噂があるわ。シンジも妙にカヲルを気に入ってて、あたしといるときにカヲルから電話があると、延々と1時間くらい話したりした。後であたしが怒ったら、二度と繰り返さなかったけど‥。
「どうしたの?惣流さん。」
「ううん、何でもない。まあ、シンジについては、悪いけどあたし、三角関係云々とかいう男って願い下げなの。だから、きっぱりこっちからサヨナラするかもって思ってる。シンジがあんたに何言ったか知らないけど、とにかく心配しないで。まあ、あたしは今回、シンジにしてやられた!ってかんじで、大分参ってはいるけど‥」
「そう。きっぱりしてて君らしいね。まあ、僕は事情をよく知らないけど‥。」
「‥まあ、そういうことで、この話はそのくらいにしましょ。ところで、こないだの実行委員会だけどさ‥」
殆ど他人に等しい男に、弱みをこれ以上さらす気はなくて、半ば強引に話題を変えた。
本当はどうでもいい話を小一時間くらい続けながら、アスカの中で次第に一つの決心が形を取り始めた。だけどまだ、ためらいがある。とりあえずはさりげなくこう切り出してみた。
「ねえ、このあとまだ時間ある?」
「ええ、まあ。君を誘ったくらいだからね。何か‥喫茶店以外に、行きたいところでも?」
「‥少し、散歩でもして、外の空気が吸いたくなったわ」
初夏の頃でまだ外は明るかった。
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