au clair de la lune dans le ciel ultramarin....

群青

1.


キルアが突然俺を訪ねてきたのは、冬も終わりに近づいた夜だった。

午後7時、大学の必修科目のレポートも提出し終わって、俺は少し浮かれて街をふらふらした後、家路に向かっていた。

すっかり日は暮れ空気は凍てつくようで、見上げると空には一面の深い、冴え冴えとした青が広がっていた。

群青、とでもいうんだろうか。この色は。

柄にも無く下手な詩人みてえなことを考えながら、当座の仮住まいである集合住宅の前にさしかかったときの事だ。

ふと見ると、戸口の前に誰かが立ってる。
真っ先に目に入ったのは、街灯にほの白く照らされた銀髪、見慣れた横顔。
そして、青い、青い目。ちょうどあの、空のような色の―――。

「キルア。」

声をかけたら振り向いて、よぉ、と笑った。
記憶の中よりもちょっと背が伸びてる。
最後に会ったときより、一年くらい経っただろうか?

「お前、何してんだこんなとこで?」


* 


事前連絡も電話も無し。本当に唐突な再会だった。最後にメールをもらったのがいつかも思い出せない。
キルアは仕事であちこち飛び回ってたし、俺は最近特に学業で忙しくて、便りのないのはいい便りとばかりに連絡も怠ってた。

キルアは訪問の理由を特に話さなかった。俺の差し出したコーヒーを受け取って、サンキュ、と言った後、
「何となく通りかかったから、寄ってみた。」
と目を伏せて笑った。
こいつ睫毛長えな、とかどうでもいいことを俺は思った。

久しぶりに会ったキルアはいつも通りのように見えた。
俺の散らかった寝室を見て、汚ぇな、と悪態をつき、床に転がってるゲーム機をみて、おぉ、ジョイステ次世代機じゃん!いいな、俺まだ買ってねーんだよ!やらして!と屈託なくはしゃいだ。

だが、よくよく注意すると微妙に覇気がない。それが気になった。
いや、本当の事をいうとずっと前から引っかかってたことがあって、そのことを改めて思い出しただけかもしれない。


キルアの才能は凄まじい。暗殺一家のエリートに育ったっていう恵まれた条件だけじゃ説明しきれない、天性のモンを感じる。ハンター試験ではじめてあいつに会ったとき、しょっぱなからいい年した俺をあっさり追い抜いてくガキのあいつをみて、正直やりきれない気分になったもんだ。

ハンターになってからのヤツの仕事ぶりはそりゃあ目覚ましかった。ゴンと二人で相棒組んで、文字通り世界中を駆け回る毎日。
だけどここ二年くらいかな、なんだかぱっとしねぇ。
そもそもあまり仕事してないみたいだし、たまにゴンと組んでも補助的な役割で甘んじてる感じで、俺の中で違和感が膨らんでいたんだ。
もともとチームリーダーってよりは優秀な参謀タイプなのかもしれないが、最近は参謀にしてもキレがない。ホント、そんだけの才能あるのに何を無駄に時間つぶしてるんだと思うことがたびたびだった。


「最近、仕事の方はどうなんだ?」
でも習慣でつい訊いてしまう。同業者の悲しい性だ。
「んー…ぼちぼち、かな。」

「ゴンは最近、どうしてる?」
「まぁ、元気…なんじゃない。」
その後、あいつ最近家に居ないこと多いからよくわかんねぇけと、とぼそりと付け足す。

そこでやめておけば良かったんだろうが、つい、気になって余計な言葉が口をついて出た。
「お前さ、独立とか考えねぇの?」

ゴンといることは―――お前にとって本当にプラスなのか?とはさすがに訊けなかった。
それまで手元のコーヒーカップの中をぼんやりと見ていたキルアが、すっと目線をあげて俺を見る。その瞳の中に何か鋭い光が通り抜けた気がして、俺は背筋が緊張するのを感じた。だけどそれも一瞬のこと。すぐに視線は横にそれて、はぐらかすようにやつは微笑み、別に今は考えてないけど、と淡々とした答え。

「ゴンの目的を手伝うの、楽しいよ。」

その後、すぐに話題を変えられてしまった。





学生にしては贅沢な事に、俺は二部屋ある割と広い物件に住んでた。運良く場末で安い場所を見つけたのだ。
だから今日も、まあしばらくうちに泊まっていけと俺はキルアに居間を明け渡した。

そして自分は隣の寝室で眠ろうとしたけど、なかなか寝付けない。
何度も寝返りを打ち、諦めて闇の中目を見開く。

(くそっ、何で俺はこんなに気になってるんだ。)
(あいつらの事情だ。俺には関係ねえ。)

俺は何も知らない。だが、前触れ無しの唐突な訪問といい、さっきのキルアのはぐらかすような受け答えといい、キルアとゴンの間に何かがあったのはほぼ確実だな、と思った。
それがちょっとした行き違いなのかそれとも重大事か、仕事の上での事なのか、もっと個人的な感情的対立なのか等の詳細は訊こうとも思わなかったが。



気分転換のため便所に起きた。
居間を通ったら、キルアが一人でゲームしてる。音は出てない。ただテレビの画面にめまぐるしく、戦う男やら女やらが縦横無尽に動き回ってて、頼りなく青白い光が部屋中に満ちてた。

「お前、眠ったんじゃなかったのか。」

イヤホンを耳から外して、キルアが振り向く。ゲームの音しか聞こえてなかったみたいで、何、と確かめようとする。白い頬に、人工的な赤、青、緑の光がちらちらとめまぐるしく映えている。

「眠ったかと思ってた。」
俺はわざとらしいくらいゆっくり繰り返してやる。まるで小さい子に話しかけるみたいに。
ああ、とやつが笑う。というより、微笑みのような形に口角をあげただけだ。

「目が冴えちゃってさ。」
ほら、俺って夜型だから、と上目遣いに俺を見る瞳が薄闇で灰色の冷たい光を帯びて見えた。
「音は消したし、迷惑にはならねーつもりだったんだけど…気になる?」
小首をかしげてみせる。
きっと光線の加減だ。それが変な媚を含んでるようにみえて、俺は目を反らした。

「もう、遅いから寝ろよ。」
つい声が堅くなる。俺の言葉には答えず、はは、とキルアが笑う。
「…何が可笑しいんだ。」
「いや、なんか保護者みてぇだなって。」
「当たり前だ。俺はお前よりずっと年上なんだぜ。」

キルアは微笑んだ表情のまま、答えない。俺の存在を無視するかのようにディスプレイに向き直り、黙って見つめてる。もうゲームはしていない。
画面の中ではキルアに見放されたプレイヤーが糸の切れた操り人形のように蹂躙され、そのたびにダメージを知らせる毒々しい色の光が点滅し、白い横顔を照らす。殴られ、蹴られ、地に叩き付けられる傀儡。そして程なくGAME OVERの文字、画面が真っ黒になった。それでもヤツはこちらを向こうとしない。

「おい。」

さすがに苛立って、俺はガキの側にしゃがみ込みその肩をつかんだ。

そのときだ。
不意にヤツがこちらを向き、そういえば、と言った。

「あんたさ、あのとき見てたろ。」

一瞬何を言われたのか、まるきりわからなかった。

「あのとき?」
「一ヶ月前、いたよね?カジノに。」

ああ、と即座に蘇ったのは映像。





それは、この街から車で2時間くらいのところにあるカジノだった。
基本は学業中心だが、時々は腕がなまらないようにアルバイト感覚でハンター業もやってた俺は、一応は人並み外れた戦闘力と観察力を買われて、イカサマ防止の監視員兼ボディーガードのバイトをしてたんだ。

とりたてて事件も起こらず、退屈な夜だった。
そのときだ。
広大なホールの反対側、遠くに見慣れた後ろ姿を見た―――気がした。

子供、いや、少年?
銀髪。まだ華奢だが、しっかりとした伸びやかな骨格を思わせる背中。すらりと伸びた、脚。こんな場には似つかわしくないブランド物のスニーカー。

不意打ちだった。気配を感じてなかったから。
キルアだとしたら、見事な絶としか言う他無かった。
確かめるため近づこうとして、やめる。というより、その場に凍り付く。

歩いて、出口からほんの数歩までのところにさしかかる少年。
人影からスーツを着た中年の男が現れ近づき、少年の背中に腕を回す。

年上の知り合い?友人?

だが、無理にでも健全な方向に解釈しようとする俺の思考をことごとく裏切るかのように、男の手が動く。
Tシャツの肩を撫で、二の腕へと滑り、そのまま肘を伝って腰へと下りて行く。
少年は抗う気配もない。それどころかさりげなく男に寄り添うようなそぶりすら見せ、戸口へと男を促す。
そのまま二人、暗い廊下へと開いた自動ドアの向こうに消えた。


ほんの、一瞬のことだった。







「あー…やっぱり、お前だったのか。」
何を見たのか、明言を避けた。
「何だ、声かけてくれれば良かったのによ。」
努めて明るい声を出して話題を変えようとした。
だがキルアは容赦しない。

「あんた、俺の事とんでもねぇクソガキだって思ってんだろ。」

俺は咄嗟に答えられず、観念して出て来たのはダイレクトな疑問。

「…いつから、ああいうことしてるんだ?」

カジノで金持ち漁って、掘らせて小遣い稼いで…

「何の必要があって…」

こいつはハンターなんだ。それも腕は超一流の。その気になりゃ金になんて全く不自由しねぇはず。

ふっと俺の眼差しの先で、キルアが微笑んだ。青い瞳だけが冴え冴えと光っている。そして、

「趣味だよ。退屈しのぎ。」

あっさりと、言ってのけやがった。
俺は二の句がつなげなくて、

「何見てんだよ。」

唇を皮肉にゆがめて立ち上がり、座ったままの俺を見下ろすキルアをただ、見つめる。

「あんたさぁ、自分は違うって思ってんだろ。」

ガキが、嗤う。




―――同じところに堕としてやる。

そう言って、先に手を伸ばしたのはキルアの方だった。





つづく