je me souviens du coucher de soleil

日没

1.

ある日、ゴミの山をあさっていたら子供を見つけた。
焼きこげた襤褸雑巾のようなものをまとい、身体のあちこちを泥か血かわからない汚れで覆われ、ひび割れた唇を半開きにして目を閉じたまま動かない。
とっさに死体かと思いぱっと見て、盗めるものなど何一つなさそうだから、無造作に身体を押しのけようとしたら触れた肌が暖かくてぎょっとした。
よほど置いていこうかと思ったが、いつもの気まぐれが起きた。運んできてたリヤカーに放り込んで他のガラクタと一緒に持って帰った。

仮住まいにしている廃墟に辿り着いたら雨が降ってきて肌寒くなった。いつもの化学物質まじりな、薄黒い染みをあちこちに作るいやな臭いの水滴が辺り一面降り注ぐ。
とりあえず有り合わせのもので火をおこし、子供を暖の取れるところに下ろしてやった。

10歳前後に見えたが、汚れてる上にやせて青白い肌をした子供だった。だが、たき火の光に赤く照らされ浮かび上がった横顔は意外と整ってる。

(…綺麗にすれば結構いい値段で売れるかもしれないな。)

ふとこう思ってしまってから、可笑しくなって一人で笑った。

(自分がやられたことを、そうやって他人にもやるんだな。)


うっかり変な奴らに捕まって、ちょっと優しくされたと思ったら訳の分からない場所に連れて行かれそうになって必死で逃げて、今はとりあえず自由。屑拾いをやったりケチな盗みをやったりして生計を立ててる。でもこの地ではそれが「独り立ち」ということだ。ここまで無事立派に生き延びた事を誇りに思いこそすれ恥じはしなかった。

(俺を売った奴も、そうやって売られたのかな?――いや、あの顔じゃあそっちの路線はあり得ないか。)

いずれにせよ昔の事だ。思い出しても意味が無い。
いつもの習慣で思考を止めた。
必要なのは戦略と行動。追憶なんていうのは暇な奴のすることだと思っていた。
だってそれまでの俺の生活には余分な時間も精神のゆるみも許されていなかったのだから。


だが、ゆらゆらと揺れる光に赤く照らされた子供の寝顔をじっとみてるうちに妙な事に気づいた。すすや泥で薄汚れてたから気づかなかったが、服はひどくこげているのに身体にはさほど火傷をしている様子がない。
どうやったらこんな風になるんだろう?
疑問がよぎったけど空腹に遮られ、考えるのをやめた。





子供はその後丸一日眠り続けていた。次の日、もう目覚めないかもしれないと思いながら、また屑拾いに出かけて帰ってきたら姿がない。どこに行ったかと思ったらカタリと物音。
見ると廃墟のガラクタの隅にうずくまり、震える影が一つ。

言葉が通じないことはすぐにわかったが、それだけではなかった。一言も口をきかない。表情もひどく虚ろだ。いや、更に言えば、人と目を合わせようとすることがなく、一定距離以上近寄ろうとすると逃げる。だけど完全に俺から逃れようとするわけではなく、放っておくと少し離れたところでぼうっと宙を見ている。

しかも俺が屑拾いに出かけると、ボロボロの衣服を引きずりながら数メートル距離をあけてついてくる。まるで動物みたいだ。

頭が足りないか、もしくは錯乱しているのかもしれないと俺は思った。暴力の日常的なこの地ではよくあることだ。
だから様子を見ることにした。




そんな調子で三日は経ったのだろうか。
子供は時々姿を消しながらも俺の近くに居て、俺もそれに慣れてきた。世話らしいものはしなかった。だいたい近寄れないのだ。時々変な情け心から餌を与えるように食べ物を投げてやったりしたが、食べたり食べなかったりした。

だがあるとき俺は、子供が絵に関心を示すことに気づいた。
俺の顔を見ようともしないくせに、気づくと部屋の片隅で、ゴミの山から俺が選り分けて集めていた絵をじっと眺めている。ちゃちい版画がほとんどで、それも化学物質入りの雨で変色しているものばかりだが、それでも飽きずに半ば放心したような感じで見ているのだ。







その日俺は、愛想どころか表情すらない子供に一枚の絵を見せた。
相変わらず一定距離以上人を近寄せないから、机代わりに使ってる木箱の上にそっと置いてやって離れる。すると、少ししてから子供がもそもそと近寄って覗き込んだ。


それは、どこまでも鮮やかな赤い空の広がる、夕焼けの絵だった。
その色は本当に鮮烈で、誰もがはっとするような雰囲気を持っていた。それが気に入って俺も拾ってきたのだ。

だが、絵を見た途端、子供の身体がびくりとこわばったのが視界に入った。

どうした、と距離を保ったまま声をかけようとして今度は俺の方が言葉を失う。

子供は、静かに泣いていた。
声もあげず、無表情のまま、ただ透明な液体だけが両の眼から止めどもなく溢れ、滑り落ちていく。

驚いた俺が正面から近寄っても、放心したように、座り込んだまま動かない。

凍り付いたような眼差しが見えた。
ただ、ぽっかりと空いた穴を覗き込むような暗い光の宿った瞳。

俺は突然何がどうなっているのか、見当もつかなかった。だが、それまで虚ろでしかなかった子供の奥から、突然に、何か非常に激しい感情が立ち上っていることだけはわかった。


それはあまりにも痛切で、見ている者の目にはそれが悲しみなのか、怒りなのか、それともひょっとして悦びや感動なのかすら、全く区別がつかなかった。
ただ、例えようもなく極まった想いがそこにあり、大抵のことには心が動かないはずの俺が――――呆然と息をのんだ。


気づくと傍らから小さい身体を抱きしめていた。



突然の接触に相手がパニックに陥ったり攻撃的になる可能性も考えたけど、そうせずにはいられなかった。そんな自分に少し驚きもした。

予想に反し、子供は身動きすらしなかった。これまで指一本触れさせなかった身体が糸の切れた操り人形のように弛緩し、なすがままにまかせている。
だが、かき抱く手に少し力を込めた途端、その全身に痙攣が走り、次の瞬間俺の手を振りほどこうとめちゃめちゃに暴れだしたのだった。

その反応の激しさ、そして予想外の強い力に俺は相手を必死で羽交い締めにせざるを得なくなる。意図せず手荒な真似をすることになったことに狼狽して俺は叫んだ。

「違う!落ち着け!大丈夫だから!もう大丈夫だから…。」



だが、更に驚いたのは、子供の全身をみるみる覆ったそのオーラだった。
なんという、激しく、そして禍々しい―――気。



「静まれ、静まるんだ!」

慌てて自分を念でガードしながら俺は、ようやく、何故この子供がたった一人で今日まで生き延びたかを理解した。





「落ち着け!」

(だめだ。俺の言葉は通じないんだ。)

空しく叫ぶ。
そのとき、目の前でばっと焔が上がった。
絵が、赤い日没が――――燃えあがる。
気がつくとあたりの空気そのものが非常な高温を帯び揺らいでいた。円形に熱が広がって行くのがわかる。不幸中の幸いはここが廃墟で他に燃えて困るほどのものも無いということ。…絵の他は。

「…やめろ!」

ビリビリと、念でガードした皮膚に刺激が走る。強い。
あの華奢な外見のどこにこんな力が。
いや、肉体ではない。念、精神の、力。

普通に考えて、この歳の子供にはあり得ないような、凄まじい想いの込められた―――念。

(それほどまでの念を、この歳で。)
(…一体、何が。)


そうしている間にも、発動範囲がどんどん広がっていく。壊れかけた壁の漆喰が熱で変色し、化学物質混じりの煙を出して解け始める。流石の俺の背にも冷たいものが走った。

(…ここで、殺すか?)

言葉で言って無意味ならば―――

残念だな、お前も俺も運がない。

右腕に念を集中する。
その瞬間、子供のオーラは更に激しい攻撃的なものとなった。接した部分の皮膚に灼けるような感覚を覚えて俺は少したじろぐ。

(殺意を感じ取ったか…厄介な。)

(俺の優位に違いは無いが、このまま逃がさず一撃に殺るのは難しいかもしれん。)
(いや、それより…この子供をここで逃したら…)

咄嗟に、いつも通る道に居るなじみの顔が浮かんだ。
腕の立つ念使いもいるけど、そうでない人間もいる。
とんでもない悪党も居るけど、単に必死で生きてるだけの奴だっている。

(…どうする?)

明らかに変化系の念の持ち主。それも最近目覚めたのか、幼さのせいか、まるで制御というものがない。高熱に変えたオーラを、己の命を削るような勢いて放出し続け、それが手当り次第に周囲の空間を蝕んでいく。そして俺自身をも。

子供に言葉は通じない。もうずっと前から、どんないたわりの言葉も意味が無かった。
なのに殺意だけは通じた。俺の念の変化から感じ取ったのだ。哀れな子供。



だがその刹那、

(待てよ、だとすれば…)

まだ試す事があると突然気づく。

念は力の迸りであるのみならず、使い手の心を映す。
ならば、伝えられるものがあるのではないか?
例えば殺意とは逆の―――想い。


迷う時間はなかった。
後少しすれば側壁が保たなくなり熱と炎が外に放出されてしまうだろう。

だから俺は、念を込めた。
あらん限りの穏やかな感情で己を満たしながら。


(俺は…お前の敵になるつもりは、無かった。)

(敵じゃないんだ。)



(わかってくれ……!)



オーラの攻防、

精神の緊張が頂点に達したかと思った瞬間、何かが弾けるような感覚があった。




つづく