天体観測

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VII. 夜明け

目が覚めると頬が冷たく涙で濡れていて、カーテンの切れ目からのぞく月が明け方の空にさえざえと輝いていた。

手を伸ばす。誰かの体温に触れる。振り向くとあどけなさを残した頬が見えた。シンジくん。
眠りが浅いのか、微かに眉を寄せて何かをつぶやいた。起こさないように息を潜めて見守りながら、僕はふとこうやって誰かとゆっくり眠ることが本当に久しぶりであることに気づいた。
少しだけつきあった彼女とは夜を過ごさなかったし、街で出会った人々とは夜明け前に別れていた。

明けていく空の切れ端を眺め、混乱した頭でいやに鮮明な夢の意味をたどる。


寂しい子供の僕を、先生は愛すると言った。
僕は混乱しながらも受け入れた。
代償を払って受け入れた。

彼は何を求めていたのだろう?

積み重なった写真、笑う子供の彼。
彼も昔、何かを誰かに支払ったのかもしれない。
愛されるために、貪られるために。

でもわからない。なぞは永遠に残されたままだ。

欲望を弱い者に向ける人間は、多くの場合自らを語らない。残さない。
無言で捕らえ、その肉を貪り続ける。
壊しながら愛し、愛しながら壊し続ける。


でも僕は今、一つだけ彼の真実を知っている気がする。


貪っても貪っても、満たされなかったのだ。





愛だとか、憎しみだとか、そういう言葉だけで全てが語れるのならばどれだけいいだろうと思う。

恐怖や怒りと同じくらいに、優しい時間があった。
今でも思い出す。ちょうどこういう色の空をした遠い日の明け方、まるで兄か父親のように彼が傍らにいて頭を撫でてくれた。

あの日あのときの暴力、セックス、優しい言葉、堪え難い痛み。冷えて行く子猫の体温。
逃れる事が出来ない。
全て、泣いても笑っても、日々成長する僕の血となり肉となってしまった記憶の断片。

僕の身体に心に刻み込まれ、人と関わりを持とうとするたび身の内で蘇る。
あの人がいなくなり、無へと還ってしまった今も。



…でも、同じ主題を辿るけれど音楽は少しずつ変調して行く。
リズムを変えて行く。
似ているけれど少しずつ違う出来事が訪れる。

少しずつ変調しながら、未知のメロディーが生まれて行く。
それが別の未来を作って行くのかも知れない。


シンジくんの腕は力強かった。傷ついていても、縋るようなことを言っていても、他人を受け入れようとする力をもつ人の腕だった。
どこか似た部分を持ちながら、でも僕とはちがう日々を生きてきた彼に僕は勇気づけられた。傲慢にも慰めるつもりでいたのが、逆に慰められた。背中を押された。
長い夢から覚めたような気がした。


東京へと帰る彼の後ろ姿がまるで知らない国に向かう旅人のように見えて、その前途に幸多かれと僕は祈る。その次は僕が旅立つ番で、どういう未来が待っているのかまだ見当もつかない。


だけど許されるならば、互いの道が交わることがあればいいと思う。
道連れとしてでも、そうでなくとも、また会って笑いあえるように。









差出人: s-ikari@mail.jp
宛先: nagisa_kaworu@zeele.de
日付: 2018/09/07 8:39
件名: メールありがと


カヲルくん

こないだはメールありがとう。もうドイツにいるんだね。何だか不思議な感じがするよ。

僕は元気だよ。
ちょっとだけ変わったことがあったとすれば…カミングアウト、してみた。

ともだちに、僕ホモなんだよって言っちゃったんだ。
やっぱ引かれた。

トウジ(知ってるよね?)なんか、早まるなそのうちお前もオンナを好きになるかも知れへんやろ、なんて言うんだよ。正直かなりがっくりきた。
でもね、次の日何も無かったみたいに放課後バスケに誘ってくれたんだ。
その次の日も、更に次の日も同じようにしてくれた。

それが何だか凄く嬉しくて、そのときわかった気がした。僕が寂しかったのは、一方的に他人に受け入れてもらうことを求め過ぎていたからじゃないかなって。

毎日一緒に冗談言ったり弁当食べたりバスケしたりしてても、僕のこの部分を理解してくれない友だちなんて無に等しい、全部わかってくれなきゃいやだ、みたいに心のどこかで思ってたんだ。

そりゃ今でも、トウジ達が何考えてるんだろって思うと怖いことはあるし、人は結局一人だよなって思って寂しいこともある。

でも、解り合えない部分があっても人って繋がることが出来るし、一緒に笑ったりも出来るんだよね。そう思えるようになって大分楽になった。

これも一人を忘れられるっていうことなのかな。確かにこういう瞬間を積み重ねれば、僕も生きていけるような気がする。

いきなり長いメールごめん。でも伝えたかったんだ。

ようやく君に言われた言葉の意味がわかったような気がしたから。


じゃあまたね。

碇シンジ



END




【作者後記】

…ずいぶんと長い物語になってしまいました。
そしてこの展開。正直なところこの作品は書いていて本当に苦しかったです。
連載の最初の方で既に書いたようにこの話は設定の段階で既に問題がありました。転校直前の人に告白するなんつー、どうにも落としどころのつけづらい設定を作ってしまって、でも始めてしまったから仕方ないし何とか失敗は最低限に留めて軟着陸させなきゃと続けていったのです。

だけど、苦しさかったのはそれだけではなくて、話を進めるうちに自分があるテーマへと駆り立てられていってしまったということにもありました。気づくとそれこそ「呪い」のように、磁石に引き寄せられるようにそっちへと走っていってしまったのです。
その結果今から思えば恥ずかしいくらい、自分の心の中にあるちょっとした癖というか、トラウマめいたものが間接的にせよ反映した作品となりました。
もちろんこの話は単なるヲタ女の妄想話ですから私自身の体験そのままの部分は何一つありません。
だけど、「セクシャリティや信念の問題で自分が周囲から孤立した宇宙人のように感じる」、「自分を守り保護してくれる愛の対象が自分の尊厳を脅かす憎むべき対象ともなる」という二つのテーマが現れているという点で、自分が生きてきた経験とばっちり重なってしまっているのです。

馬鹿みたいな話ですが、執筆しているうちに十代のことやら近い過去のことやら色々思い出して、その折々で片付けられなかった怒りや恐怖のようなものと向き合い、それに現在の大人の感覚で言葉を与えるような作業も並行して行うことになりました。
でもそのおかげで今まで気付かなかったことに気付いたり、昔わからないまま放り出していた自分の問題にケリがついたような気がする瞬間があったのも事実です。

ただしカヲルと先生の話について、お読みになった方はお分かりと思いますがかなり描写を押さえています。特にああいう状況におかれたカヲルの荒れ方が多分あれではおとなしすぎます。色々甘いです。その辺のリアリティは追求しきれませんでしたが、カヲルというキャラをこれ以上壊してまで二次創作でやるべき事では無いとも思い自粛しました。

そういうわけで、この「天体観測」、自分のエヴァ二次創作としては失敗の部類に入る作品なのですが、個人的にはどうしてもこのタイミングで書かなければならなかった何かなのだろうという気もしています。
お客様に見ていただくためのエンターテイメントとしてよい出来に仕上げられなかったことは心残りですが、一つの個人的な記念としてサイトに掲載することをお許しください。
最後に、ここまでお読みくださった方、おられましたら心より御礼申し上げます。

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