......Merci.

紅い花

4.

気がつくとひとり、くらい森の中をずっと歩き続けていた。
どこへ行く当ても無く、いつからこうしていたのかも知らず、時間も忘れて。
方向など考えもせず、ずっと進んでいった。

すると、木立が少し開けた場所に出た。
またあの紅い花が咲いている。
半月の光に白く照らされ、浮かび上がっていたのは見覚えのある小さな家。
はっとするほど懐かしい窓。
今にも、あの子が笑ってそこから手を振りそうな。

俺は、どこにいるのだろう。
さっきまで、あのホテルのある大陸にいたと思ったのに。

ふらふらと、俺はそこに近づいていった。

「ゴン。」
不意に背後から名前を呼ばれ、俺は振り返る。後をずっとつけられていたのか?全く気配に気づかなかった。
「キルア。」
見慣れた銀髪が、月明かりに透けている。凍り付いたような瞳で、俺を見ている。この表情、知ってる。出会った頃を思い出した。

夢と現実の境もつかない心地になって、思わず口走る。
「…死にたい。」

このままひとおもいに、俺を殺って。
出来るよね…キルアなら。

目の前の相手が薄く笑った、ように見えた。

「……!!」
鈍い音がして、視界が明滅する。
世界が転倒して、口の中一杯に鉄錆の味が広がる。
ああ、これは現実なんだ。
痛みとともに安堵がやってくる。

不意の一撃?
いや、俺はわかっていた。
わかっていて、全く防がなかった。

「甘えてんじゃねぇよ、この大馬鹿野郎。」
かろうじて起き上がったら、さらにもう一撃。今度は腹に入った。
「痛ぇだろ。」
うん、と答えることも出来ず、腹を押さえて、うずくまる。
「死なない程度にしか殴ってないからな。」
今度は蹴りが来た。

抵抗なんてするはず無かった。
まるで、押さえてきた何かが弾けたような暴力に、なすがまま、されるがままに、打たれた。

切れ切れに、飛び込んでくるのは、叫び。
悲鳴のような。

あり得ねえ。
他人に甘ったれるにも、程があるぜ。

性欲処理させた上に、罪悪感の救済までしろってわけ。
俺をここまでお前の人生に巻き込んで、その後始末までさせんのか。

ふざけんな。

絶対、楽になんかしてやらねぇ。

一生残るような痛み抱えて、

のたうち回って、

生きればいい。

打ち倒され、地に伏したまま俺の視界が捉えたのは、台詞と裏腹の、泣きそうな顔。さっきの凍り付いた瞳とは打って変わって、まるで別人。

いやそれともあの表情は、気休めの裁きを望んだ俺がみた、一瞬の幻影?


…ああ、
結局だめだな。
キルア、お前、優しすぎる。
だから家業は継げなかったし、ハンターとしても半端なまま、只、俺を受け入れてこんなところまで来ちゃった。

そして俺は、救いようの無い道化だ。
単純に親父の跡追いかけて、半端な覚悟のままライセンスだけは手に入れて、人の役に立ってるつもりになってた。
ハンターという生き方の、意味も知らずに。

光と影、ハンターと暗殺者。
自分と社会のために子を捨て家族を危険に曝す俺らと、他人の欲望の後始末のため黙々と手を汚す彼らと、どっちがどれだけ罪深くないなんて、どうして簡単にいえるだろう。
世の中単純じゃない。今頃やっと、わかった。



不意に視界が暗くなってきて、あ、気絶するなと思った。

そして、暗転した意識の中で、かすかな声を聞いた――――気がした。



……お前なんか、もっとずっと前に、殺してやれば良かった。

他のどこにも、二度と行けないように、

この、俺の手で、消してやりたかった。

共に過ごした記憶ごと、

全て。


でも、



……出来なかった。



* *


目が覚めたら、キルアはいなかった。
月も消えていて、夜明けが近かった。
紅い花も、家もなかった。
まるで全てが夢だったかのように。

ただ、うっそうとした黒い木立に囲まれた空が見えて、動くと体中が痛くて、それだけが夢と現実の境界を示してくれた。


遠くに鳥の鳴く声がする。
顔中腫れぼったくて、口の周りに乾いた血の感触。
白かったはずのTシャツがどす黒く染まっていた。

こんなになるまで俺を殴った彼の手は、さぞかし痛かった事だろう。

俺の感情と性欲のはけ口にされて、それでも俺の甘えと罪悪感を背負ってくれたひと。


「ありがと、キルア。」


一人つぶやいた。

不意に、涙がこぼれた。
静かに液体が頬を伝い、傷に沁みる。

声もなく、俺は泣いた。
あの子が死んでから、初めてのことだった。


戻らない人と帰らない日々を想いながら、やっと、泣く事が出来た。


〈長かったですが、もう少しで終わります。つぎはエピローグ。〉
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