sous ce ciel etoile, a l'endroit ou tu ne reviendras jamais

Starry Night



私、まだ生きてる。

どうしてここにいるの。
どうして生きているの。

何のために。
誰のために。


…わからない。


「君と僕は似てるけど、同じじゃない。」

「以前君が僕にそう言ったんだよ。覚えてないの?」



フィフス、あのひと――――私と同じ匂いがする。


すれ違いざま手を取られたあのときの感じ。忘れられない。





月夜だった。

私はあのひとを見つけた。

「何を…してるの。」
「何って、散歩だけど。」
「そう。」

素っ気ない答え。何を話して良いのか不意に分からなくなり私は黙る。
すると彼が言った。こちらを見ずに口笛を吹きポケットに手を入れたまま。
湖の側まで行かないかい、と。


夜風が髪を撫でる。
星も空に満ちていた。

さっき来たときより風が強いな。彼がつぶやく。独り言のようだった。
よくここに来るの?まあね。簡単なやり取り。
私は知らないわ。思い出せない。
だけど波立ち揺れる水面に遠く街の灯りが映るのをみたとき、ふと懐かしいような気持ちが満ちたから驚く。
――まるでこの湖を、昔から知っていたような。


「寒い?」

水平線を見つめる私に彼が訊いた。

「寒くないわ。」

「そうだよね。君は僕と同じだから。」

「…さっきは、違うって言ったわ。」

「さっき?…ああ。」

「あなたの言うこと、矛盾してる。」

フィフスは答えなかった。背中に問いかける。

「何を知っているの。」

「知りたい?」

「知りたいわ。」

「知ってどうするのさ?」

私は、廊下ですれ違ったあの瞬間、彼が手を取ったあのときを思い出そうとする。
何かが流れ込んできた刹那の感覚を私は求めている。だけど言葉にならない。
説明する代わりに、私が彼の手を取った。何かが伝わるような気がしたから。

しかし触れた途端、彼は目を逸らし遠くを見る。

視線の先を追う。水面の向こう、黒い岩の塊がぽつりと突き出ていた。
じっと見ていると翼の生えたヒトののような形をしている。
私を見ず彼が言う。

「僕に、何をして欲しいわけ?」

口の端にひっかけるような笑みを浮かべているのが見えた。

「わからないわ。」

「君って…」

彼は振り向いた。そのまま至近距離から見下ろす。月明かりの下、長い前髪の影が頬に落ちていた。

「本当に何もわかってないんだね。」

くすくすと笑う。

「教えないよ。」

笑って、言った。

「君になんて教えない。」

「そう。ならば、いいわ。」

「わかったら、手を離してくれ。」

はっとするような低い声、微笑みは消えていた。

「それは嫌。」

「なんでさ。」

なぜ。どうして。
問いかけの言葉。私は躊躇した。
わからなかったからではない。突然、あることが閃いたからだ。

「……泣いているから。」

「誰が?」

私は目の前の相手を指さした。ぽかんと彼が口を開ける。

「は?僕が?いつ?!」

私は答えられなかった。確かに彼は涙を浮かべてはいない。だけど、そういう気がしたのだ。
根拠はない。
ただ、深い部分に鈍い痛みを抱いているような感覚が、今触れている肌と肌からも伝わってくるように思えたのだった。


感情を理解することは、難しい。
私には欠けている部分があって、それが私を他の人から切り離している。
きっと、フィフスからさえも。

「私、一度しかないの。泣いたこと。」

「………。」

「だからまだよくわからないし、時々間違えるの。こういうふうに。」

彼は無言のままそっぽを向いて、風に乱される髪を意味もなく掻き上げた。

手はつながれたまま風だけが吹いて、どのくらい時が経っただろう。ついに彼がゆっくりと口を開いた。

「君は…この湖が、どうやって出来たか知っている?」

「知らないわ。」

「僕は知ってるよ。そのとき、近くにいたんだ。全部見てた。」

「何が起きたの。」

「死んだのさ。ここで。………仲間が。」

なかま、という言葉を口にするときの躊躇いに私の心はざわめく。
それは誰の仲間なのか。
彼の?それとも、他のだれか。

わからないけれど、それはなんて巨大な、墓標。


「だからここに来たの?」

「…さあ、わからない。」

「そう。わからないことがあるのね。あなたにも。」

「………。」


私の中には膨大な空白のページがある。
それは誰からもみえない、わからない。閉ざされた領域。
私にもわからない。昔そこに何かがあったのか、それとも最初から何もなかったのか。ただの欠落でしかないのか。
数日前に目覚めたときから、わからないことばかりだった。

だけどたったひとつの確かなこと。

あなたに触れたとき、私はその内なる空白に気づいたのだ。
それはあなたにも同じモノがあるから。
あなたからも何かが―――――――流れ込んできたから。

それは私とは違う形の、新しい傷口のように開かれた心の白いページ。
ついこの間、作られたばかりの場所、生まればかりの鮮烈な痛みが未だ宿る空虚。

(それは何?なぜ、そこにあるの?)

だから私は、ここまで来てしまった。それに触れたくて。確かめたくて。

(…私にもいつか、できるのかしら。)



彼の手を握る手に少し力を込める。
ふと彼が向き直った。その身体が私より一回り大きいことをぼんやりと意識する。

「そんなに離れたくないんなら………リリンの真似ごとでも、してみる?」

何のことかすぐには理解出来ず、ただその赤い瞳を見つめ返す。すると彼はゆっくりと指を一つ一つ絡めるようにして手をつなぎなおした。そしてもう片方の腕で私をゆっくりと引き寄せる。始めてのようでどこか知っているような感覚。
頭がグラグラとした。だけど不快ではない。

「逃げるなら今のうちだよ。」

何も知らないはずの私なのに、囁くような声を耳元で聞いたとき、何故かこれから起こることを理解した。
私は目を閉じる。空よりも濃い闇。

深呼吸、言った。

「逃げないわ。だって、理由がないもの。」









目を閉じると風の音。
粗い吐息と区別がつかなくなる。

知らないはずなのに、私はそれを知っていた。
知っているはずなのに、身体は痛みに震えた。

廃虚の影、青白い月明かりの下、太ももに滴った朱。

「そっか。…初めてなんだ。」

あの人が言った。月を背に表情が陰り見えない。
ずっと水槽の中だもんね、とつぶやく声。

「少し休もうか。」

彼が動きを止めて、傍らに身を投げ出すように横たわる。私は訊いた。

「どうしてこうするの?」

どうしてあなたは私にこうするの、なのか、それとも、ヒトはどうしてこのようにするの、なのか。
自分でも定かではない、問い。

「さあね。」

ぽつりとつぶやく声がした。

「自分がいつか誰かにやられた、それと同じことをしてるだけかな。」

風と紛れてしまうぎりぎりの囁き。

「いや、それとも………されたかったように、しているのかな。」

聞こえるか聞こえないかの声とともに、彼が私を背中から抱きしめる。暖かい。体温が重なっていく。
首筋に唇の熱が落ちたとき、不意に私は彼の腕を優しいと感じた。

「…そう。」


あなたはこういうふうに、されたかったのね。







砂の感触と共に服を着る。あーあ、シャワーを浴びなきゃね。あのひとが笑う。
空には星がまだ瞬いていた。

「帰った方がいいよ。」

「あなたは?」

訊ねたら、もう少しここにいると答えた。

「…うっかり、一つになってしまうかと思った。でもならなかったね。」


君と僕はやはり少し違うみたいだ。

でもそれは多分――――いいことだよ。


不思議なことば。月明かり。
風に、鈍い光沢を帯びた銀色の髪が舞い上がる。儚い、と感じたのは何故。
(まるでもう二度と見ることのない夢の光景のように。)


私はよくわからないまま、さようなら、とだけ答えた。
その本当の意味を考えることもなく、振り返らずに歩き出す。


夜風に晒されながら、身体の芯がぼんやりと痛む気がした。


それは、傷ついた肉体の痛みなのか、それとも他の、










わからないまま夜が明けて、その日が来る。
暗闇の中ターミナルドグマで、今度は私が見下ろしていた。
旅立つ彼を見送るために。



サードチルドレンと何かを話す彼。最後の笑顔に私は知る。
彼のまなざし、その視線の向かう先にあったもの。
彼の内なる空白、まだ新しく鋭い傷口を切り開いたひと。

あなたをあなたにして、あなたをわたしでなくした存在。
あの巨大な喪失の場で、わたしをあなたへと結びつけたささやかな契機。


(…そう、だったのね。)





そして、次の瞬間、それは流れ込んできたのだった。

立ちつくすエヴァンゲリオン初号機の、巨きな手が祈るように合わせられたその時に、
刹那、空間に満ちた。

あたたかくて、少し、胸が締め付けられて、



(そう、どろっとしているんだ。)
(知ってるだろ?)



――――――どこか懐かしかった。




(違うのは、これまで誰と出会い、どう生きてきたかってこと。)







ねえ、
これは、誰の想い?


あなた?
サードチルドレン?

それとも、






私。









END




【作者後記】
どうも、すごい久しぶりの更新失礼します…。
庵エヴァでカヲル×アスカとかやってる私ですが、貞エヴァは何故か、カヲル×レイの方が優勢だったりします。自分でも不思議なんですが…。

何か分かりにくい話だったかも知れません。すいません。

タイトルは、これ描き始めたとき中田ヤスタカのStarry Sky というアルバムにはまってまして、そこから連想で付けました。