alouette, gentille alouette, je te plumerai....

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ある晴れた日の午後だった。
兄と修行するためいつも通りの時刻に、地下のトレーニングルームに下りていった。
すると突然何を思ったか、キル、今日は外で修行しよう、なんて言い出す。

「外ぉ?でも今日は、対拷問訓練だろ。器具とか無いじゃん。」
「予定が変わったんだよ。今日はもう少し体術強化向きのことをやろう。」
「なんだよ、それ。」

拷問の訓練が好きだったわけじゃない。いや、むしろ一番憂鬱だった。だからさっきまで地下へと続く階段を降りる足取りもひどく重かった。
だけど、こうあっさり覚悟していた予定を覆されると正直、頭くる。


湿った空気の淀む地下から、同じ螺旋階段を一段一段踏みしめ昇り、重い扉を開けた。
差し込んだ陽光の眩さに一瞬目がくらむ。

「何だよ。…っげぇ、いい天気じゃん。」

腹いせのようにつぶやいてみた。



春だった。
紛れも無く、新しい季節がすぐそこにあった。
白樺の枝に点々と淡く新芽が吹いている。
柔らかい下草の緑もいつのまにか明るく新しい色彩で覆われ始めている。
ふわりと吹いた風に乗って、微かに暖かく湿った土の匂いまでした。

地下室での修行をいきなり取りやめた兄の真意が分かった気がした。

当の本人はしれっとした顔で、でも何も言わず黙々と歩き始める。
その背中を黙って追う。

聞こえるのは、鳥のさえずりだけ。



「山雲雀が鳴いているね。」

沈黙をやぶったのは兄の方だった。

「…そうだね。」

「知ってるかい、キル。ここの山雲雀がどこから来るか。」

「さぁ…でも、南の方だろ?冬のパドキアは寒すぎるし、越冬するんなら…」

「その通り。パドキアの南西にある大陸から来る。ザバンって街を知ってるかい?」

「…名前くらいは。次のハンター試験があるところだろ?」

突然兄が立ち止まり、振り向く。どきりと心臓がはねた。

「よく知っているね。多くのハンター志望者達が毎年、会場の場所すら探し当てられずに挫折するというのに…。」

鼓動が速くなる。指先が冷たくなる。追求する様な兄の視線を逃れるようにうつむいた。

「そのくらい…基本じゃん。」

実をいうと最近ずっと、ハンター試験が気になっていて自分でも理由がよくわからなかった。でも別に参加する気なんて無い、と思っていたし、兄にもそう解釈してほしかった。
それに知らない振りをしたところで、別にいいことはないのだ。この兄のこと、今度は、そのくらいの情報もとれないようじゃお前もまだまだだねと言われかねない。


「…そうだね。お前の言う通りだよ。」

ふっと兄の表情が柔らかくなり、密かに安堵する。評価されたんだ。良かった。全身から力が抜ける。

「話を戻すとね、山雲雀はそのザバン付近を通って北上し、海を渡ってパドキアまでくるんだ。」

「ふーん。」



山地の中腹、少し木々のまばらな場所にいた。
天を仰いで兄が眩しそうに目を細める。長い黒髪をかきあげ、かざした手の影がくっきりと白い頬に落ちる。

そのままほんの一瞬だけ、遠い眼差しをした。まるで、山雲雀の来た道をたどろうとでもするかのように。


だけどすぐに、いつもの無表情な瞳で俺に視線を戻して言った。


「さあ、おしゃべりは此処までだよ。修行を始めよう、キル。」

ああそうだ、修行。
春の陽気にぼんやりした頭を振り払い、オッケー、と返事して大きく深呼吸を一つ。いかなる難題を与えられてもすぐ対応できるよう、身構える。


そのときだ。突然、兄の携帯が鳴った。

何と、急な仕事の依頼だった。

「…わかった。すぐにそっちに行くよ。うん、心配ない。キルだってもう大きいから一人でもちゃんと修行できる筈。」


本当に予定が狂いっぱなしの午後。

でも兄はといえば、ランニングとウェイトリフティングをこれくらい、あとは執事達に少し相手をしてもらいなさい、と全く悪びれる様子も無い。

「しっかり訓練するんだよ、キル。」

相変わらずの淡々とした口調で、それじゃ、と自分の肩に手を置く。
そして、挨拶のキスをしようと身を屈めた。

何気ない日常の、挨拶のキス。おやすみなさい、おはよう、それじゃあねまたね、日常の合間に機械的にしてるあれだ。



背の高い兄の唇を額に感じたとき、思わず目を閉じた。

陽光を受けた左頬が暖かい。

それと混じって、兄の体温をひどく間近に感じた。


刹那、光と熱がふわりと自分を覆ったような心地よさにつつまれ、驚く。
しかも何故か鼻の奥がツンとして目頭まで熱くなった。
慌てて目を見開く。

明るく開けた視界に、兄の姿。微かにそよぐ長い髪、涼やかな黒い瞳。光にくっきりと彩られた輪郭、その背景に青い空、新緑の緑。


恐ろしいほどに美しく清々しい、映像。



そのまま、きびすを返し去っていく背中をぼんやりと見送った。






背の高い後ろ姿が木立にまぎれ見えなくなったとき、一人、放心したように座り込む。

何の脈絡も無く、でも思い出していたのは、今日ではない夕べの兄。

別人のような、姿。
暗い地下室。
あの同じ唇が自分の身体を這い回り、舌が歯列をこじ開けて入ってくるのに必死で応えながら、何かにすがるように左手でずっとシーツを握りしめていた。


昨日のことなのに、まるで夢のように遠く思えた。

だって見上げれば陽光、天高く舞い上がる鳥達のさえずり、柔らかな新芽の緑。



…いや、こっちの方が夢なのかな?




身じろぎしたら、身体の芯に残る違和感。
服の下に隠れた、無数の痣を思い出す。

太陽の光も届かない場所で、疼き痛み続けている、数え切れない———傷。






春だった。
眩いばかりの光に満ちていた。

この一瞬がずっと続けばいいと願うような、
そんな午後だった。






END



【作者後記】
春なのに何だかくらいですね〜(←自分で書いておきながら)
昨日、図書館の中庭をぼんやりみてて、突然思いついた話です。イルキルしばらく書いてなかったので、自分でもこういうふうに話が出てきてちょっとびっくり(出来はどうあれ)。いや、春ですね〜。ちなみに、新芽のはえた白樺がその中庭にあったのです。まんまです。

ザバン市とパドキアの位置関係についてはコミックス5巻を手がかりにしてますが…あってますよね…?なお、ハン ター試験は毎年会場を変更する上その情報ソースが限られているので、受験希望者はまず会場探しに苦労するというのは、原作の設定みてて突然思い出したので 使いましたw

キスの習慣ですが、すいませんオリジナル設定です。自分で描いたイルキルキス絵に引きずられて、この人達の国ではけっこう日常で挨拶チューするんじゃないかとねつ造しちゃいました…。
山鳥の知識については…(汗
実は私、アウトドアにはほど遠い人間です。一応、山雲雀(ヤマヒバリ)の生態についてネットで検索くらいはかけた&現実世界じゃないので、そんなにボロは出てないと思うんですが…。

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