hug me, eat me....and i'll kill you.
Silent Night
ソファーに座ったまま、白いマンションの一室で、鮮血が飛び散った壁を少年はぼんやりと眺めていた。
自分はどうしていつまでたってもこうなのだろう、と彼は思った。
技に、気持ちがついていかない。達成感も無い。
明かりを消したまま窓の外を見る。大通りの向こう側に並ぶ団地の窓には、微妙にニュアンスの違う柔らかい色彩の灯りがぽつぽつと灯っている。
つい、殺るときに部屋の明かりを消したのはいつもの習慣だ。
彼女は最後まで、自分に何が起きたのか気づかなかったに違いない。
あら、停電?
のどかにつぶやいた声がまだ耳の奥に残っている。
ほんの一瞬の出来事だった。
少年の名前はキルア・ゾルディックと言った。もうすぐ12歳になる。
若年ながら最近一人でも仕事をするようになった。
稼業は、殺し屋。
*
ベランダにふっと人影が舞い降りるのが見えて、思わずキルアはそちらを向く。手すりに腰掛けてる見慣れた姿が目に入った。こんな場所には似合わない濃紫の
振り袖をあでやかに着流した少女のような人物がいた。うなじの上で切りそろえられた艶やかな黒髪がそばの門灯に照らされて鈍く光っている。年の頃はキルア
と同じか、少し幼いくらいか。
「…カルト。何でここにいるんだ。」
「ああ、間に合った。」
カルトとよばれた子供は足音もたてずベランダに降り立ち、少年に微笑みかけた。
「はいこれ、着替えだよ。兄さん。」
ちょっと面食らいながらもキルアは、カルトから渡された服を無言で受け取る。暗がりでは灰色にも見える碧の大きな瞳を伏せて、手にした何の変哲も無い黒の
タートルネックとジーンズをじっと見つめた。そしてため息をついて、赤黒い染みの散った薄い色のニットを手早く脱ぎ着替える。外からのほの暗い光にすら透
けるような猫っ毛の銀髪がふわりと揺れ、セーターの黒と対照的なコントラストを成した。
「折角だけどジーンズはいいや。別にそんなに汚れも目立たねぇし。…お前が履いたら?」
「僕が?どうやって。この着物の下にでも着ろというの?」
少女のような姿をしてるけど、カルトは男の子だった。キルアの記憶では、ついこの間までトレーナーにオーバーオールの似合う幼児だったような気さえしてい
た。いや、それも最近偶然みた昔の写真の画像と取り違えてるかもしれない。記憶の中のその姿は奇妙に幼くて、目の前のすらりとした姿とはかけ離れていたか
らだ。
とにかく、気がついたらカルトはこうだった。そして、家族とはいえもともと接点が多い弟でもなかったから、その思い出せない空白の間に何が起きたのか、キルアには皆目見当もつかなかった。
「ははっ、冗談だって。でもその着物、おふくろも趣味悪ぃよなぁ。それとも、ひょっとしてお前の好みなわけ?」
キルアの質問には答えず、カルトは少し離れた床に転がる死体の方に近づいて、少し神妙な顔をする。
「こんなに小さい傷跡で確実に心臓を一撃…さすがだね。」
「は、なに驚いてんだよ。そんなんじゃ、お前もまだまだだな。」
振り返る。女の死骸の側には飾られたままのクリスマスツリー。キルアの背くらいはあるやつだった。ちかちかと電飾まで光ってて、枝の緑が青白く薄闇に浮き上がっている。
「…一人暮らしなのにずいぶん立派なツリーだよね。」
カルトがぼそりと言う。
「ガキと生き別れる前にでも買ってたんだろ。子供ってツリーとか好きじゃん。」
「子供いるんだ。そんなことよく知ってるね、ターゲットのプロフィールでもみたの?」
「まさか。もらったのは住所と名前、一人暮らしってことだけだ。」
「じゃあどうして。」
「みりゃあわかるだろ。」
指差した先に、写真。小さく控えめに、書斎机のすみに置いてあった。子供と死んだ女が2人で笑ってる。その隣には子供一人だけの写真、成長していて背景は明らかに外国だ。
「兄さんて…細かいところまでよく見てるね。」
何気ない一言だった。なのにキルアは、急にひどく痛いところをつかれたような気分になる。
カルトの言う通りだった。自分は細かいところをよく見てる。見すぎている。
――どうして、こんなどうでもいいことに、気づいてしまうのだろう。
胸の奥で何かが軋んだ。そしてそれは初めてじゃなかった。
(いつもそうだ。新しい場所にいくたび、風景の断片が語りかけてくるような感覚に襲われる。)
(ツリーに飾ってある天使が子供と同じ金髪ばかりなこととか、写真の日付が3年前だとか、全て、仕事に必要の無い些細な細部なのに、俺の視覚は勝手に記録している。)
(死んだ女の最後の言葉とか、写真の笑顔とか、仕事には関係ないくだらない細部がぎっしりと脳みそに詰め込まれて、頭がパンクしそうになるんだ。)
(…気持ち悪い。)
黙り込んでしまったキルアにカルトが気遣うような眼差しを向けた。
「機嫌悪そうだね。この仕事、気に入らなかったの?楽そうないい依頼にみえたけど…。」
「別に。…お前に関係ないだろ。」
刺のある言葉を返したのに、ごめん、と小さく言ってカルトはうつむいた。その奇妙な従順さに返っていらいらする。同時にやりきれないくらい後ろめたくなる。カルトの言う通りだったからだ。
確かに、こんなに楽な仕事は初めてだった。ヘンに身体使う必要なし、大けがのリスクなし、ターゲットと関わる必要も無し。ただ指定された時間に指定された
場所に赴き、指定された人物を始末するだけで、子供には分不相応な巨額の報酬。それまで会った事も話した事も無い女を、一瞬のうちに葬った。誰が何故どう
いう理由でそれを望んだのかすら知らされていなかった。
(けど…。)
台所でさっき洗ったばかりの右手を握りしめる。
とたんに、迸る血液、熱い肉、ぬるぬるとした脂肪の皮膚感覚が蘇った。
ほんの一瞬、だったのに、手に記憶が刻み込まれてしまったように。
それともこれは、今まで殺してきた奴ら全員分の蓄積なのかな。
だとしたら、笑える。
顔すら思い出せないのに、貫いた肉の感触だけは指が覚えているなんて。
あ、まただ、空間が歪むような気分、とキルアは思った。
吐き気がしそうになるのをこらえて話題を反らす。
「どうして来たんだよ」
「次の仕事についての父さまからの伝言だよ。携帯じゃやばいし、僕近くにいたから。」
カルトもキルアも自宅からは遠く離れた場所にいたのだけど、彼の能力ならば家で父親がだした指令を聞くことができる。だからキルアに伝えにきたというのだ。
「次の仕事ぉ?」
「うん。」
「あり得ねえ!俺今ひとつ終えたばっかだぜ!」
ご親切にも着替えを持ってきたのはそう言う意味か、と合点が行く。血染めの服で夜道を歩いたって捕まったり人目を騒がせるようなヘマをするキルアではなかったからだ。だが次のターゲットに怪しまれず接近するとなると、普通の格好をしている方が好都合だ。
このまま帰れると思ってたのに。
「ペドの連続殺人鬼を殺れってさ。」
ペド、つまりペドフィル。小児を性愛の対象として愛好する人物のことだ。
「…なんだそりゃ。」
「復讐みたい。この間、刑期が終わって出てきたばかりのそいつを殺したがってる依頼主がいるんだって。」
「大金払ってか。」
キルアを雇うのは安くない。仕事の難易度にもよるが、場合によっては家が買えるような値段になることもあった。
「そう。どこかの資産家の夫婦らしいよ。子供をその殺人鬼に殺されたんだって。でも、ターゲットも重要な政治家の息子らしい。」
淡々とカルトは伝える。暗がりでは漆黒にも見える紫の瞳に宿るのは、親の言いつけ通りお使いをこなそうとする子供のひたむきさだけ。
「…親の権力と賄賂で刑が軽くなったとか?」
「うん。それでね、報復を恐れてすごいセキュリティーの邸宅に引きこもっているらしいんだ。用心棒もハンター並みに強いヤツがいて、普通に入れる人は身内だけなんだって。」
「だけど俺みたいな子供なら油断するかも…ってわけか。」
「んーそれどころか、そいつ子供大好きだから大歓迎みたい。籠ってばかりで欲求不満なんだって。あと、兄さんなら依頼するにもお金がちょっと安いから。」
「まぁ、確かに兄貴や親父じゃ馬鹿高いよな。」
終わってるなこの会話、とキルアは一人苦笑する。ペドとかの意味がわかってる俺らも俺らだ。それでも続ける。
「でもさ、ならばどーしてお前がいかねぇの。そんなに強い奴な訳?」
カルトも最近、頼りないながら一人で仕事を請け負うことがあった。そして腕の拙さ故にキルアより安い。
「…僕じゃ、女の子っぽすぎるんだって。男の子が好きなやつらしいんだ。」
ちょっと悔しそうにうつむく顔に前髪がはらりと落ちる。
「男の服きてけばいーじゃん。」
「僕だと、顔からしてだめなんだって。女顔すぎるって…。ゴトーが人買いのふりしてネットでそいつと接触したんだ。僕か兄さんか選ばせたらそういう返事が来たって言ってた。」
「うわ、あり得ねえ。」
「うん。僕もそう思う。」
*
そうと決まったら長居は無用。汚れた服をゴミ箱に突っ込み、結局ジーンズも履き替えた。証拠品が残るが、キルアは指名手配の心配などしない。そもそも自分
の遺伝情報は全て生まれたときから市民登録データベースに載ってる。でもゾルディック一族をわかってるやつなら絶対手出ししないし、知らない人間はキルア
が子供であることに惑わされてくれるはずだ、そう知っていた。
大通りとは反対側の小路地に面した窓ガラスを開けようとして、手が止まる。視界に広がるのは夜の街。包み込むようなこの深い闇の向こうに次の仕事場がある。
「金があるから、殺し屋雇って自分で裁くってわけか。」
誰に話しかけるともない呟き声のつもりだった。だが、
「そういうことじゃない。」
後ろに居たカルトが相づちを打ったからどきりとする。
「…社会正義のつもりなのかな。」
聞かれていると意識したら、声が低くなった。
「ん、なんかいった?」
「…なんでもねえ。」
カルトの方は向かず、結局ぶっきらぼうにごまかした。弟には自分の言いたい事などわからないだろう、と思ったからだ。
それどころか最悪、母親に告げ口されるかもしれない。大事な仕事の最中にまた無駄なことをごちゃごちゃ考えていたと。そして家に帰った途端、立派な殺し屋の心構えとやらを説かれたりしたらたまったもんじゃない。
だけど沈黙の中、思考は止まらず回転し続ける。
子供可愛さに国民の金つぎ込んででもその犯罪に目をつぶろうとする奴と、殺し屋を雇ってでも自分の子供の敵を討ちたい奴。
どっちもどっちだ。
そんな犯罪者がちゃんとした裁きも無くのうのうと生きてる現実はどうしようもなくひでぇが、金払って俺みたいなガキに人殺し頼む奴だってビミョーだ。んでもって、ひょっとして何か偉大なことでもしたつもりになってたりしたら目も当てらんない。
金がなくて、ただ殺されて終わりの奴だっているんだろ。そういうやつはどうするんだ。弱くて金がなければ、耐えて終わりハイ残念でしたってわけ?
結局金か?金で正義も買える?
その金で俺が働いて、得た金でゲームと菓子買って、食って遊んで、飽きたらまた仕事して。
(…そういや、菓子どころかパンすら食えないで死ぬような貧しいガキもいるって、聞いたなぁ。世の中もう、どうなってんだか。)
俺、一体何してるんだろ。
だめだ。考えがまとまんねぇ。
ふと、次のターゲットがペド野郎で良かった、と心から思ってる自分に苦笑いする。
餌食になりかけるふりをして、戯れに、一回くらいヤらせてやろうか?
そしたら気楽にぶっ殺せる気がする。
虫けら同然に、一息で。
……ああでも、それでたまには善いことしたつもりになるかもしれない自分もいやだ。
だって、やることはどうせ同じなんだ。殺す、それだけ。
でもってまた手にあの気持ち悪い体温が絡み付いて、指の生臭いのが洗ってもとれなくなる。
錯綜する思考を振り払うように、キルアは窓を開けた。冬の外気が一気に部屋に流れ込み二人の子供に容赦なく吹き付ける。
窓枠に足をかけ、思い切り飛んだ。うまく隣のビルの屋上に音も無く着地。カルトも続く。
駆け出す前に振り返ると、窓の奥に青白く瞬くツリーがまだ見えた。
…メリークリスマス。
小声でつぶやき、背を向けた。
END
【作者後記】
クリスマス前から書いてたのが遅れに遅れて今日うpです。でも、おしながきにも書いたように、その方が良かったような気もします(汗。
めずらしく殺し屋時代のキルア話ということで…。それも、カプというより、「キルアがどれだけ殺し屋に向いてないお子様だったか」みたいな話になってしまったです。
なお、余計な話をすると、実はこの話連作です。登場人物は違うのですが。まだあるのかい、って感じですね。ハイ。
なお、カルトちゃんの念能力(紙人形使って遠隔地の会話を聞く)についてキルアは全然知らないという可能性も考えたのですが、このSSでは無理矢理知って
いることにしてしまいまいした。原作のキルアはハンターになる前、念能力の存在すら知らなかったので矛盾してしまうのですが…。でも、さすがに家族なん
で、弟はなんか遠くの話し声を聞けるらしいな、みたいな素朴な知識くらいあってもいいかなと。たとえそれが念によるものとはっきりわかってなくても。なの
でこじつけちゃいました。
それにしても、今更ですが、12歳のプロ暗殺者っていう設定はキツいですね…。いくら原作にそれがあるとはいえ。なんだか、書いてて罪悪感感じたです(汗)(←でもやってるし…)
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