最初で最後の

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0.

一族の血は、あのとき間違いなく絶えた。
残されたのは一人の子供。

静かな集落、外界から隔絶されて、血は濃くなるばかり。
子供の数は既に減っていた。
私のような子供も生まれた。子を成せない、半月。
でも、それは一族にとって、ほんのわずかな不幸のはずだった。
古くからの共同体。結束は固く、そのような子でも居場所はあった。
兄弟姉妹を守り、一族のために働き、ただ静かに朽ちていけば良かったのだ。
それで幸せだった。
――あの悲劇が起こるまでは。


1.

その日は朝から曇っていて、ほどなく土砂降りになった。
レオリオはここ少し遠い場所にある医大の研修で留守、ゴンは久しぶりの休暇だといって二日前からくじら島に帰っていた。

キルアはといえば、残っていてつまらなそうにしていた。大抵ゴンと行動を共にしている彼にしては珍しかった。そして、先ほど気晴らしにとジョギングに出かけたのもつかの間、途中で思い切り雨に降られ、不機嫌そのもののような顔をして帰ってきたのだった。

災難だったな、と声をかけてもろくに返事をしない。
濡れた上着を無造作に脱ぎ、居間にある客用のソファーベットに音をたてて腰掛け、そのまま宙をにらんでいる。その上には、広げたままの衣服や脱いだ寝間着が散らばっていてひどく乱雑な様を呈していた。
彼は本来、年の割には行儀のいい方なのだが、ここ2、3日ほどは機嫌の悪さに比例して、あからさまに身の回りに無頓着になっていた。

「少し片付けてくれるとありがたいんだが。」
話しかけても生返事で、ぼんやりテレビを眺めてる。

溜息をついて、読みかけの本をたたんでダイニングテーブルを立った。彼の脇をすり抜けて、自分の寝室に戻ろうと思ったのだ。
そのとき、ふと子供が顔をあげた。
遠慮の無い視線をじろじろと投げかけてくる。
「前から思ってたんだけどさあ、あんたって、ひょっとして女?」
「…何の話だ。突然。」
「匂いが、した。」
「…。」
「あんたのって、男のとは違う。俺、そういうの敏感なんだ。」

「いかにも、経験豊富な君らしいな。」
いつもの私にしては、不躾な皮肉が口をついて出た。
「で、どうするんだ。もしも本当に私が女だったら。」
相手がまともにぎょっとしたのが、おかしかった。
「…どうもしねぇよ。単に訊いただけだ。」


そのときの私はどうかしていた。そのまま放っておけば良かったのに余計なことを口走っていた。
「世の中には、男と女しかいないって思っているんだな。」
少年の切れ長な目が細くなる。しゃべりすぎたと気づいた。不運な事に相手は、妙に勘のいい子供だった。

「じゃあ、男でも女でもないとか?」
含むところのある薄い笑みを浮かべて彼。
「前に本で読んだ事ある。半陰陽ってやつ。」
「…物知りだな。」
手がかりを与えてしまったことに後悔したがもう遅い。

キルアが意地悪く笑う。まるで、誰かに攻撃されたくてたまらないみたいに。
「そんで、復讐くらいしかやることないわけだ。せっかく生き残ってても子孫残せないんじゃ、無意味だもんな。」

そのときの私は、どういう顔をしていたのだろう。瞳の色を変えたりはしなかった、と思う。
ただ、少しだけ微笑んだ。

反論する気も起こらなかった。
子供には、言いたい事を言わせておく。


「…ごめん。最低な事言った。死んだ方がいいかもな、俺。」

黙っていたら、勝手に向こうから謝ってきた。冴えない顔色。うつむく顔に前髪の影が落ちていた。


2.

ゴンがくじら島に行って以来、明らかにキルアはおかしくて、二人の間に何かあったらしいとは気づいていた。だけど気づかないふりをしてた。ただでさえ自分のことで手一杯だから、面倒なことには一切関わりたくなかった。

今日も、黙って無視しようかと思った。
だけど、勝手に殺気立ってた目の前の子供があまりにも容易く無防備な顔を見せたから、もっと傷つけてやりたくなって追い打ちをかけた。悪循環だ。

「一人で悪態ついて、一人で謝るのか。自分の私生活に不満があるからといって、他人に八つ当たりはやめてほしいな。」

「…だから、謝るっていってんだろ。」

反撃もせず、ふいとそっぽを向いたままうつむいた彼はずいぶん弱々しくみえた。

しばらく沈黙が流れ、虚ろともいえるような表情でじっと下を向いているキルアと向かい合っていると、こっちが大人げなかったなと気が咎めてきた。

「…またゴンとケンカでもしたのか。」
お節介な言葉が口をついてでた。今日は失言の日だ。

そんなのお前に関係ないだろ、という返事がすぐに返ってくるのを予想したが、彼が押し黙ってしまうので余計気まずくなる。
「…悪かった。変な事、訊いて。」
きびすを返しその場を離れようとしたら、ぽつりとキルアがつぶやいた。
「最近、自分がバカになった気がする。」

そして、何かを言おうとして二、三度ためらう様子を見せた後、一言、一言、言葉を探すように話しだした。

「あんたも、変だと思うだろ。俺やゴンみたいなガキ二人が、よくわかんないことで最近しょっちゅうケンカしてて。」

この二人、共に特殊な環境で育ち、同年代の近い友人を持たない彼らが、世間並みな友情から一歩逸脱した関係に陥りつつあることは、私もうすうす知っていた。その結果、些細な事で痴話ゲンカめいたトラブルが頻発していることも。

「滑稽だよ。俺たち、っていうか、俺が。…こういうのもう、やめたい。」

最後の方は消え入りそうな声。
実際、彼の悩みはある意味、滑稽だった。

「いつまでも一緒にいられるわけでも、ねーし。」
うつむいたまま、彼は言う。
「てか、相手男だし。」

「あと、今はこんな、バカみたく馴れ合ってる関係でも、そのうちこいつを殺したくなるかもな、って考えたり。それじゃ今こうしてるのって単なる時間の無駄なんじゃないかと思ったりも、する。」

「いや、まあ、どーでもいいんだ。そんなことは。…うん。」

…そのどれもよくないから、ごちゃごちゃ考えて、こんな風に支離滅裂になるんだろう。馬鹿だな。

大人顔負けの知識と技術を持ちながら、家族と使用人以外の人間をほとんど知らない、年齢には不似合いなものを背負ってしまった子供。初めて「他者」と触れ合ってしまって、独占欲と依存と孤独への恐怖で身動き取れなくなってるようにみえた。
急に、生まれて初めて赤の他人に自分の存在価値を認められて、どうしていいかわからない。そして、いつまたそれを失うんだろうって、今から身構えてる。傷つくのが怖いから、その前に諦めようとして、でもそれが出来なくてもがいてる。

状況がだいたい理解出来たので、冷たい言い方になるのは承知で、最低限のことを簡潔に言った。
「悪いけどそれは、君の問題だね。君が、勝手に悪い方向に考えて、一人相撲をとってるだけにみえる。相手はもっと、何も考えていないと思うよ」

彼は、そうかもね、と低くつぶやく。否定も肯定もしない。
言われなくてもわかっている、という表情にもとれた。

互いに話す事が無くなって、黙っていると、
「…さっきのことだけどさ、」
と彼が話題を戻した。
「役立たず、なんて言って本当に悪かった。自分の話が、かぶった。まじで、ダセーと思う。」
もういいよ、と私は答える。

「色々旅してみたけど、俺はゴンと一緒にいただけで何もやってない。自分一人じゃやりたいことも見つからない。家族はっていえば、家出てから今でもずっと、あんな一族は絶えた方がいいって思ってる。特定の誰かを憎んでるとか、そういうの抜きにしても。」

「だから、ずっとあんたに嫉妬してたと思う。失って苦しむような家族や、一族があって、目標を持っている。それがたとえ、復讐であっても。」

そういえば私もキルアが一番勘に触ると思っていた時期があった。理由は多分単純で、他の二人が自分とは明らかに似ていなくて、比べようもなく感じたからだ。人は、自分と近い場所にいて、だけど少しだけ違う物にもっとも反感を覚える。

「でも、レオリオとか、ゴン…みたいなやつにこんな事言ったら、お前暗いよって、笑うんだぜ、きっと。」

だから、好きなんだろ。まぶしくて、自分と違うから。
よくわかるよ。

ふと、明るく、健やかに伸びやかに育った青年のことを思った。復讐の夢をみる私とまるで反対のものを追って、いつも前を向いている。酒が好きで、女が好きで、人生を楽しんでいる彼。
自分が、光を追う影のように感じる瞬間。

そうなんだ。
少なくともその一点において、私たちは、不様なくらい似ている。


ソファーベットに近づいて、彼の横に腰掛けた。こちらを見上げる灰色がかった瞳と視線が合う。 柔らかそうな銀髪が蛍光灯の光に淋しく光っている。

気まぐれな同情がわきあがり、ほとんど衝動的に右手を伸ばして、髪を撫でた。彼は目を反らして一瞬身体を固くしたが、払いのけようとはしなかった。私はすぐに我に返って手を引っ込める。
また彼がこっちを見る。そして、「なんだか頭の中がぐちゃぐちゃだ」と言って泣き笑いのような顔をして、そのまま身を寄せてきた。まだ成長途上の華奢な骨格を全身に感じて、二人抱き合ってるみたいな格好になってることに気づく。至近距離の体温が生々しい。でも、不快では、ない。
それは自分には珍しい事だった。

首筋に顔を埋めて、「いい匂いがする」と独り言のように彼が言ったとき、くすぐったいような奇妙な感覚につつまれた。何が起ころうとしているのかをぼんやりと、把握する。

さっきまで予想すらしていなかった事態。まったくのアクシデントだった。

遠くに、雨の音を聞いた。テレビが居間でつきっぱなしになってる。

どうしてそれが自分にできたのか、わからない。

他人に身体を曝すのは、いつも恐怖だった。
好奇のまなざしと暴力に耐えた過去しかなかったから。
だけどそのとき、不思議なくらい静かな気持ちで私は彼を受け止めていた。
鍛え抜かれてはいるけど、まだ薄い胸。細い肩。ところどころ、引っ掻き傷の残る背中。

苦痛も罪も、知りすぎてしまっている子供。



3.


終わった後、シーツにくるまったまま、二人とりとめの無い話をした。
気怠そうだったが、さっきとは打って変わってすがすがしいような他愛の無さで、キルアは私に話しかけてきた。

「俺、そーいえば、あんたが初めてだ。」
私は苦笑いする。
「何の『初めて』だ。」
「それ言わせるかなー。今までの人生男に掘られてばっかだったから、そーでないのが初めてってことだよ。」
すごい台詞だ。
彼の、年不相応な媚や、時々見せる痛々しいくらいませた仕草を思い出した。

わずかに沈黙が流れ、彼がぽつりと言った。
「ちょっとは、良かった?」
すぐに答えられなくて、黙って微笑む。向こうが照れくさそうな顔をして視線を反らしたから少し驚いた。

「『初めて』にしては巧かったよ。言われなければ気づかなかった。」
故意に技巧の問題にすり替えて答えた。
感覚を殺し殺されて生きてきた私には、そもそも、いわゆる「快楽」がわかってるとはいえなかったからだ。

「そりゃどーも。まあ、そーいえば、オッサン相手でも巧い方だって言われてたな。」
苦笑いをした彼の顔は、妙に素直で、はっとするほど幼かった。

彼の何かを背負ってあげる気力もないのに、中途半端に関わってしまったことを自覚する。これは憐憫か、保護欲か。

相手の体温を傍らに感じながらも、自分のことで精一杯な私は、通りすがりの大人でいるためにすべきことを、考えた。
出てきたのは、偽善者の台詞。

「今日みたいなのは、これきりだよ。ゴンには内緒にしてあげるから。」
わかってるよ、と彼。私を見る目が一瞬だけ、神妙になったけど、穏やかな顔。
そして、気を取り直したようにニヤリと笑うと、言った。
「心配するな。こっちもレオリオには黙っててやるから。」
あ、形勢逆転か。彼らしい小憎らしい反応に、私は罪悪感まじりの安堵を覚える。

「…別に、彼と私は何も。」
「とぼけんなって。」

シャワー、先に浴びておいでよ、と促したら、ちょっとだけ待って、とつぶやいてこっちに手を伸ばしてきたので、とりあえず抱きしめた。これで良かったのかな、と少し戸惑いながら、銀色に淡く光る猫っ毛を撫でた。敢えて、ゴンが早く帰ってくるといいな、とも言ってみた。彼は何も答えない。

二人しばらく無言でいたあと、ありがと、といって彼は身を離した。 そして、下を向いたまま、へへ、と短く笑った。


END


追記

気に入らない場所があったんで、一部、文章表現等に手を加えました。あと、この話の時間および場所設定ですが、ごらんになっておわかりのように、てけとーにしか考えてません。原作より少し後くらいに思ってはいますが。ゴンとキルアは13.5-14.5歳くらいかな(んでも、ちょっとまずいですけどね)。なぜか、キルアとゴンがクラピカの家に二人して長期滞在してて、そのうちゴンだけがふらっとくじら島に行った、ということにしてます。レオリオは…多分、クラピカと一緒に住んでいるのでしょう。どういう関係かは考えてませんが、この時点ではただの同居のような気がします。レオリオは医大のベンキョで忙しくてあまり稼いでないし、クラピカは仕事の都合上家を留守にすることが多くてハウスシッターがほしい(=草木に水をやったり、不在の家に泥棒が入らないように住んでくれる人)んで、二人は家賃を折半して住んでいるのでしょう。きっと。
(2005年3月2日)
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